厳しかった親父の愛のムチ
僕が野球を始めたのは小学校2年のときです。6歳上の兄貴の影響で、もっと小さい頃からバットやボールには触れていましたが、あくまでそれは「ボール遊び」。7歳になって突然、親父から「やってみるか?」と水を向けられ、「ジュニアホークス」という硬式のボーイズリーグに入団しました。プロ野球の南海OBの方が立ち上げに関わったチームで、練習の拠点は当時の南海の二軍の本拠地だった中百舌鳥球場。振り返れば、身近にプロ野球選手と接する環境だったことが、のちの僕の人生に大きな影響を与えました。
「野球をやる条件はただ一つ。どんなにつらくても途中でやめることは絶対に許さんぞ。約束できるか?」
僕にそうクギを刺した親父は、日本石油のサラリーマン。本格的な野球経験はなかったようですが、熱心に練習に付き合ってくれました。
でも、とにかく厳しく怖い親父だったので、2人でいるときは常にビクビクです。例えば試合後の帰り道。迎えに来てくれた親父の車に乗っていると、赤信号で止まるたびに、運転席から助手席に手が飛んできます。