喜怒哀楽のサラリーマン時代
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尼神インター渚さん<3>誤ってビスをのみ込んだことも
工事現場の朝は早い。遠方の商業施設や空港が現場なら、自宅を出るのは午前6時半だ。親方が弟子の家を回り、ひとりずつ車に乗せて連れていった。 「大工になって最初の数カ月は、指先まで筋肉痛でした。し…
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尼神インター渚さん<2>神戸空港の全ての階段を手掛ける
最近は「大工あるある」のオファーも多い。ニッカーボッカーを着て、工事現場のロケや職人時代を語るという仕事だ。 渚さんが勤めていた会社は建設会社の下請け業者で、主に店舗の組み立てや改修工事を手…
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尼神インター渚さん<1>辞めるのを承知で雇ってくれた親方
お笑いコンビ「尼神インター」は2007年9月に結成された。相方の誠子さん(28)は吉本総合芸能学院(NSC)の同期。ネタ見せの授業で“一目ぼれ”した渚さん(33)は「あいつとは別れろや」と中国人との…
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笑福亭和光さん<5>師匠に弟子入り志願したいのに行けず…
自宅の多摩からマイカーを走らせて、新宿末広亭へ。しかし、その日、鶴光師匠の出番はナシ。いつ出るか分からないまま5、6度通い、念願の師匠の高座を目の当たりにした。 「目の前で噺をしている師匠と、…
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笑福亭和光さん<4>解雇1週間前に聴いたラジオが転機に
今でこそ落語家だが、芸能界を夢見ながら配送ドライバーをしていた当時、落語を聴いたことさえなかった。ところが、落語家への道は、運転中に開いたという。 「運転中、たまたまラジオ番組『鶴光の噂のゴー…
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笑福亭和光さん<3>夏に湘南をサザン聴きながらルート配送
ペリカン便のアルバイト代は、荷物100個で1万円。それを上回ると、荷物1個につき120円の歩合制。荷物が少なくても、1日約8000円が保証されていたという。 「1日頑張れば、大体1万円以上。週…
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笑福亭和光さん<2>運転好きが高じて配送ドライバーに
1992年、20歳で上京すると、芸能スクールでレッスンを受けながら、家賃や生活費を稼ぐため、居酒屋やコンビニでバイトを始める。 「居酒屋では焼き鳥とか鉄板ものを担当。問題なくできていたんですが…
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笑福亭和光さん<1> 工場のライン作業で絶望的な気持ちに
今年5月、45歳にして真打ち昇進。29歳で笑福亭鶴光師匠に入門したスロースターターは、2009年に岡本マキ賞(前座奨励賞)受賞、15年に「第5回城源寺二ツ目選手権」で優勝するなど期待の“新人”だ。本…
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赤川次郎さん<9>「セーラー服と機関銃」はタイトルが先行
「日本機械学会」を辞めて最初に書いた小説は「セーラー服と機関銃」だった。のちに薬師丸ひろ子さん主演で映画化され、主題歌も大ヒットした作品である。 「編集者から、タイトルだけでも先に欲しいとせっつ…
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赤川次郎さん<8>原発を専門的レベルで理解する人はいない
1980年ごろのカッパ・ノベルスは、大ベテラン作家の社会派小説をそろえていた。新人の書き下ろしなど皆無。そのため、編集部内にも、赤川さんの小説を出版することには異論があった。 そんな不安をよ…
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赤川次郎さん<7>「三毛猫ホームズの推理」が大ヒット
シナリオから2年後に応募したオール読物推理小説新人賞を「幽霊列車」で受賞した。1976年のことだった。これで小説家としてスタートラインに立ったことになる。 それでも「日本機械学会」の仕事を辞…
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赤川次郎さん<6>初のシナリオがドラマに 脚本料は15万円
小説は、社会人になる前から、誰に読ませるわけでもなく書いていた。ただ、24歳のときに隣に座っていた同い年の同僚女性と結婚、2年後には子供も生まれたことで、書く時間はどんどん取れなくなっていた。 …
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赤川次郎さん<5>「武田博之」のペンネームで書いた文集
赤川さんが働いていた頃の「日本機械学会」は、春に通常総会、秋に全国大会を開いていた。期間はそれぞれ3日間ほど。事務局の面々は裏方として汗を流した。 そんな中で“事件”が起こったのだ。 …
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赤川次郎さん<4>入社1年目の社員旅行で歌った「星のフラメンコ」
日本機械学会での仕事は好きだった赤川さんも、人間関係には悩まされた。 「小さなオフィスで45人ぐらいしかいなかったから、良く言えば家庭的な雰囲気で、何をやるにも一緒じゃなきゃダメ、みたいなとこ…
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赤川次郎さん<3>内容はチンプンカンプンでも校正はできた
本が好きで小説を書き、文字を見るのも苦にならなかったので、原稿の誤りや不備を正す校正という仕事も楽しんでやっていた。 「今でも送られてきたゲラ(試し刷り)で赤字(間違い)を見つけると喜んじゃう…
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赤川次郎さん<2>先輩女性社員に手取り足取り教わった仕事
赤川さんが就職した「日本機械学会」は学術研究者の団体だ。会員は大学や企業の研究者で、規模は日本一。会員数は当時4万5000人に上っていた。 「機械学会って建築学会とか土木学会といった専門別の学…
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赤川次郎さん<1>本屋でのバイトを経て日本機械学会に応募
ユーモアあふれる軽妙なミステリー作品で多くのファンを魅了してきた。1976年に「幽霊列車」でオール読物推理小説新人賞を受賞しデビュー。作家生活は40年を過ぎ、著書は600冊(!)を超える。そんな大ベ…
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辻村深月さん<5>地方で普通に生活した「目線」で描きたい
直木賞を受賞したのは2012年、「鍵のない夢を見る」でした。このときも元職場から、祝勝会をやりたいと電話がありました。 でもその時の祝勝会では、実は常務理事が「そんなものやるな」と言ったそう…
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辻村深月さん<4>直木賞逃した直後に「辻村を励ます会」を
作家デビューしてからも、職場のみなさんとの関係性ややりとりはそんなに変わらなかったですね。 ただ、本を買ってきたのでサインして、というくらい。普段は小説をそんなに読まないという人も多くて、同…
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辻村深月さん<2>社会を知ってのデビューで舞い上がらずに
同じ職場には20人弱の職員が働いていました。同期は男性職員が1人、ひとつ上の先輩が3歳差で、その上が8歳差。 入社3年目、24歳のときに「冷たい校舎の時は止まる」で第31回メフィスト賞を受賞…