保阪正康 日本史縦横無尽
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議会帰りの東條首相・陸相をクルマごと吹き飛ばす暗殺計画
大本営参謀のTは、昭和19年7月に支那派遣軍から大本営に赴任した。改めて戦況の詳細を綴っている文書を読んで、もう戦争を続ける状態にないことを知った。東條首相・陸相はそういう事実を隠蔽して、講和の模索…
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太平洋戦争下 具体的に進んでいた東條英機暗殺計画の内容
太平洋戦争下において、政治、軍事の大権を付与された形になり、東條英機はまさに独裁的な権力体制を敷いた。自分に反対するのは昭和天皇に弓を引くことだと公言し、戦争政策に反対、あるいは講和を主張する者を徹…
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政治や軍事の中枢からも東條英機“暗殺計画”が持ち上がった
石原莞爾の東條批判はつまるところ、指導者の条件を満たしているわけではないという点に尽きた。石原は現役の軍人でありながら、東亜連盟という組織をつくり、日本と中国が中心になってのアジア建設をうたっていた…
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「戦陣訓」をめぐる東條英樹、石原莞爾の対立
石原莞爾と東條英樹の対立について、もう少し詳しくふれておきたい。この対立が昭和陸軍の帰趨を決めた側面もあるからだ。 石原は参謀本部の作戦部長という要職を占めたにもかかわらず関東軍参謀副長に、…
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自分の意見と対立する者に悪口雑言を投げつけた石原莞爾
ここで日中戦争時の史実から離れて、昭和10年代の日中戦争、太平洋戦争の折の昭和陸軍内部における、ある対立の構図を示しておきたい。東條英機と石原莞爾の対立、あるいは衝突がこの時代の陸軍の基本的な矛盾を…
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石原莞爾いわく「東條英機と梅津美治郎こそ日本の敵だ」
不拡大派の中心にいた石原莞爾について触れておこう。盧溝橋事件から2カ月半ほど後に石原は関東軍参謀副長に異動となった。拡大派の陸軍指導部の杉山元らが、同じく拡大派で何事も強硬策しか取らない東條英機(参…
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軍が演出した南京陥落の歓迎デモを秩父宮殿下はどう見たか
日中戦争が長期持久戦になっていく事態に、日本国内は一気に戦時体制にと変わっていった。国民は耐乏生活を余儀なくされ、次第に軍事が中心の国家へと変貌していった。「欲しがりません、勝つまでは」といった類い…
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大川周明は精神錯乱状態に「恨み」で東條英機の頭を叩いた
これは田中隆吉の書(「敗因を衝く」)からの引用になるのだが、大川周明は和平工作の障害は、軍内の強硬派のゴリ押しにあると考えていたようであった。次のようなエピソードを紹介している。汪兆銘政府ができた後…
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指相撲、腕相撲を経て日中戦争はまさに「大相撲」の様相に
この頃、近衛首相が陸軍の中堅将校に執拗に脅かされていたとの証言もあった。近衛が和平の動きを進めるとの情報が入ると、「(陸軍内部の結社である)皇戦会を握る青年将校は、サーベルをもって近衛首相を恫喝した…
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「英霊に申し訳ないではないか」という声であふれた
汪兆銘を引き出す折に、影佐禎昭や今井武夫は、平和回復後の2年以内に「日本軍は支那から撤兵」との約束を伝えていた。このほかにも満州国の承認などといった条件があったにせよ、この撤兵というのは汪兆銘側にと…
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謀略型軍人の態度を変えさせた石原莞爾の日中戦争不拡大論
汪兆銘担ぎ出し工作の日本側の裏面史を語っておくことにしたい。この中心になったのは、上海で影佐機関を動かしたこともある影佐禎昭であった。担ぎ出し工作の始まりのときは、参謀本部の第8課の課長であった。第…
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「この国を守る役割を果たした」汪兆銘の妻は獄死を選んだ
桐工作は謀略の一種であったと言われるのだが、最終的に蒋介石の国民政府がどの程度関与していたのかはわからない。この工作に一時は日本側が期待したのは間違いないが、しかし結局は諦めた。その分だけ、汪兆銘を…
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日本陸軍が和平工作を行った宋子良は中国の謀略による偽物
なぜ桐工作というのかは不明であったが、日本の特務機関は猫、牛といった1文字を謀略作戦に名付けている。大方この作戦も「桐」という1文字で表すことにしたのであろう。日本軍の情報将校である今井武夫や影佐機…
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汪兆銘の新政府成立の裏にあった日中の謀略会議
汪兆銘の背信は中国国民党の指導者たちを激怒させたが、その裏切りは予想されていた節もあった。というのは汪兆銘は、徐州作戦、武漢三鎮作戦などで中国軍が敗退した頃から、日本との和平を公然と口にするようにな…
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蒋介石は汪兆銘を「恥知らずの徒」と罵った 侮蔑の表情も
汪兆銘の担ぎ出し工作は、実は昭和13年の早い時期から準備されていた。蒋介石政府の軸である国民党の副総裁、汪兆銘に照準を絞って親日政権をつくらせようとの思惑が、日本の参謀本部の情報、謀略担当の将校の間…
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共産党の紅軍は40万人超え日本人捕虜への思想教育を行った
アメリカ世論が日本に強硬になっていった理由は、日中戦争での日本の軍事行動が露骨に戦争の残虐性を示したからだった。重慶爆撃によって街の中心部が崩壊し、中国の市民が多数死んでいるニュース写真はその裏付け…
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兵士の訓練が十分でないことを中国側は見抜いていた
日中戦争に投入された日本兵は、どの程度の数になるのか、むろんそれは極秘事項であった。日中戦争の始まる頃、つまり一撃の下に蒋介石を黙らせるという作戦を始めた頃は、平時の17個師団を33個師団に増やすと…
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奇妙な対立軸 将校への批判を聞き中国軍に投降する日本兵
日中戦争の戦場で中国軍の捕虜になって思想教育に触れ、日本は誤った戦争をしているとの考えに至った兵士は、積極的に戦場での宣撫工作を進めている。そういう捕虜の実態は、今に至るも全容が明らかになっていると…
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中国軍は日本人捕虜に白米を食べさせて思想教育を行った
中国軍、特に八路軍の捕虜になった日本兵の実態について、さらに論を進めていきたい。この面の史実については、これまであまり語られてこなかったし、あえて触れまいとするのが戦後社会の了解事項のようでもあった…
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捕虜を殺さず侵略戦争の愚を教え、中国軍の宣伝に使う戦略
軍事で多くの戦果を上げた日本は、しかし政治、外交では多くの失敗を犯した。さらに軍事でも戦闘には勝ったといえども、戦争という大状況では必ずしもすべての手段が円滑にいったわけではなかった。それはこれまで…