芸能記者稼業 血風録
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「いかに拡散を抑えるか」それがメリー氏が講じた醜聞対策
一昨年夏、公正取引委員会がジャニーズ事務所に対し、「元SMAPの3人(草彅剛、稲垣吾郎、香取慎吾)の地上波出演を妨げるような働きかけがあった」として独占禁止法違反につながる恐れがあると注意した。ジャ…
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キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると
ジャニーズのスキャンダル対策の陣頭指揮を執ってきたのがメリー喜多川副社長だった。タレントを「うちの子」と呼び、外敵(メディア)から徹底的に守ってきた。アイドル生命を左右する恋愛に関しては「恋愛を取れ…
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歌も踊りもやらないジャニー氏が踊るように指示できた理由
ジャニー喜多川氏はアイドルをつくるだけでなく、デビューしたグループの現場に足しげく通っていた。コンサートでは前方・後方、左右とさまざまな角度から舞台を見ていた。客席のファンも「スタッフの人」と誰もジ…
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ジャニー喜多川氏のタイプはタッキー、東山、中居に分類
歌手でも俳優でもない「アイドル」という新たなジャンルをつくったジャニーズは独特のスカウト方法を取っていた。 創設者のジャニー喜多川氏が一手にスカウトを担い、東山紀之が渋谷のスクランブル交差点…
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SMAPで男性アイドルがバラエティー本格進出 事務所の革命
国民的なアイドルとして後にジャニーズ事務所の屋台骨となったSMAPだが、そのデビューは散々なものだった。 1991年発売のデビューシングルはジャニーズ史上、最低の売り上げ。ジャニー氏がジュニ…
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たのきん、シブがき、少年隊…80年代はトリオで人気を確立
1980年代に入ると「たのきんトリオ」、「シブがき隊」の3人組を送り出したジャニーズ事務所。それまでの4人組からのシフトチェンジは成功したが、ドラマ「金八先生」で生まれたたのきんはソロ活動に戻し解散…
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人気絶頂の郷ひろみがジャニーズを電撃移籍…憶測飛び交う
ジャニーズに始まった「ジャニーズ事務所」のアイドル路線は、フォーリーブスから初のソロとなる郷ひろみにバトンタッチ。「男の子女の子」で郷はデビュー。一躍、スターダムに上り、NHK大河「新・平家物語」で…
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原点は米国で見たエンタメの世界…そこに天性の勘が融合
1950年代、ジャニー喜多川氏の父親はロスの寺院内にステージを設置。日本から来た俳優らの公演を行っていた。これを見ていた20代のジャニー喜多川氏がエンターテインメントの世界に関心を持つきっかけになっ…
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ジャニー氏とメリー氏…芸能界で帝国を築いた姉弟のルーツ
1960年代、歌謡界を席巻したのが橋幸夫・西郷輝彦・舟木一夫の「ご三家」だった。正統派の歌謡歌手が全盛期のなか、彗星のごとく現れたのがジャニーズの4人組だった。それは歌謡界の概念を変えるものだったと…
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メリー喜多川氏はスキャンダルからタレントを守り抜いた
芸能プロの経営者がどんな人物なのか、話題にはなっても記事に反映することはほとんどない。調べたところでわかりやすい。「渡辺プロ」創設者・渡辺晋氏も「ホリプロ」の堀威夫氏もミュージシャンから裏方に回り芸…
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近藤真彦の不倫報道で思い出す メリー喜多川副社長の剛腕
近藤真彦(56)の不倫報道で改めてクローズアップされたのがジャニーズ事務所のメリー喜多川氏(93)だった。故・ジャニー喜多川社長の姉で副社長だったメリー氏は、事務所の実権を握り辣腕をふるっていた。近…
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近藤真彦と田原俊彦 “元たのきんトリオ”の2人を分けた明暗
近藤真彦(56)の不倫がさまざまな波紋を広げている。 近藤の妻が激怒。離婚の話も取り沙汰されているが、別な視点から見えてくるものもある。まずは不倫の決め手となった沖縄旅行。ゴルフを兼ねていた…
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AV業界最大の功労者 村西とおるの話は冗舌でユーモアが
本紙で連載を持つ村西とおる氏の経歴などはここでは省く。取材を通した村西氏との話を紹介する。 AV(アダルトビデオ)は女優のリアルなセックスが売り。見て楽しむ手軽な風俗として日常に定着させた最…
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「私は愛人を女優にしただけ」ピンク映画の創始者は言った
日本映画全盛期、東宝など大手5社が競うなか、セックスをテーマに独自の路線で活動してきたのが1962年スタートの「ピンク映画」だった。“18歳未満入場禁止”が逆に好奇心をあおり、男性の息抜きの館でもあ…
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ノゾキの達人に女装愛好家…風俗取材で会った不思議な人々
バブルと並行するように風俗情報も活発化した時代があった。雑誌だけでなく風俗専門紙まで出現。風俗は身近なものになっていったが、お店側も頭をひねり新たなサービスに取り組む。そんな風俗に関わる人間にスポッ…
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高部知子“ニャンニャン写真”流出の顛末 元カレは自殺した
「週刊文春」に掲載された嵐の大野智が元カノと沖縄の海で抱擁する写真はプロカメラマンが特写したように鮮明だった。 昔の流出写真はデジカメもなくフィルム時代だったこともあり、ピンボケなど鮮明な写真…
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松坂慶子の父は最後まで結婚反対し孫を見ることもなく他界
両親の後押しで児童劇団に入り、女優を目指していた松坂慶子。高校卒業後、大映専属に。1980年代、「火宅の人」「蒲田行進曲」などの映画で一躍、スター女優の仲間入りを果たしたが、女優人生の起点になる作品…
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恋多き松坂慶子と無名のミュージシャンの結婚に父は大反対
芸能人の結婚・離婚のカギを握るのは母親である。事が起これば母親の取材は鉄則だった。父親が取材を受けるケースは少なかった分、強く印象に残っている。 古くは女優・十朱幸代の父で俳優の故・十朱久雄…
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「社台ファーム」吉田代表は日本ダービーをさらりと当てた
芸能以外にも事件や人物ものなど、さまざまなジャンルの取材をしてきた。どんなテーマでも、根底にあるのは人間に対する興味に変わりはない。 秋のGⅠレースの真っただ中にある中央競馬。貴重な体験とし…
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マンションの隣の部屋で…木村一八をのぞき穴から張り込み
ライバル誌と張り込み現場でかち合うことがある。お互い同じ情報を基に動けば衝突も仕方ないが、張り込み方法を巡り揉めることもあった。 ターゲットは女優・Kと作曲家・Sの不倫現場だった。青山骨董通…