お笑い界 偉人・奇人・変人伝
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室伏広治さんがグズっていた赤ちゃんを抱くとウソのように泣きやんだ
西川きよし師匠、明石家さんまさん、オール阪神・巨人をはじめとする吉本のタレントさんで写真やサインを断られているところを見たことがありません。もちろん、次の仕事へ向かうなど時間がない場合は仕方ありませ…
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ビスケットブラザーズの勝因はボケの「意外性と裏切り」を審査員が評価してくれたこと
先日行われた「キングオブコント」決勝大会で歴代最高得点で見事15代目王者に輝いたビスケットブラザーズ。NSCやデビューの同期には第7世代でM-1王者・霜降り明星やキングオブコント王者・コロコロチキチ…
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松平健はサインを求めるファンに正座で応対 「暴れん坊将軍」の腰は低かった
「暴れん坊将軍」「マツケンサンバ」でおなじみの松平健さん。20年以上も前になりますが一度だけ、お食事の席にご一緒させていただきました。 「阪神・巨人さんの漫才や吉本新喜劇を書かれている作家さんを…
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池脇千鶴に「私のことは“ちいちゃん”と呼んでください」と言われ…
前回、沢田研二さんと田中裕子さんという本当のご夫婦が“夫婦漫才師”役を演じられた映画「大阪物語」(1999年)で漫才台本を書かせていただいたことを書きましたが、2人の娘役で主人公を演じたのが当時17…
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沢田研二・田中裕子夫妻に「売れへん夫婦漫才のおもろないネタ」を頼まれ、さらに指導まで
1999年3月公開の映画「大阪物語」で沢田研二さんと田中裕子さんという本当のご夫婦が“夫婦漫才師”役を演じられ、幸運にもこの時の漫才台本を書かせていただきました。 98年の夏ごろ、吉本から「…
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桂小枝さんがテンション爆発「大ニュース!三枝兄さんのギャラが僕のとこへ入って来てん!」
「しかし、まぁなんですね~」と、ネチっこいしゃべりでおなじみの桂小枝さん。楽屋で初めてお会いしたのは1985年のおそらく4月ぐらいだったかと思います。 前年にABC漫才落語新人コンクール最優秀…
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大竹まことは本番中に深々と礼…最後まで“クールでダンディー”だった
「ゴールデンラジオ!」(文化放送)でおなじみの大竹まことさん。私が構成していた「痛快!エブリデイ」(関西テレビ系)という朝の帯番組の月曜日「男がしゃべりでどこが悪いねん!」のコーナーゲストに月1レギュ…
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島田洋七にビートたけしから救いの手 1000万円のギャラを折半してくれた
今回は弟弟子の島田紳助さんが「そのウソ、ホンマ?」と言われるほど、話を盛ってらしたという洋七さんから伺ったビートたけしさんとのエピソードを……。 漫才ブームが終わり、仕事が激減した洋七さんに…
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うそかまことか…島田洋七の80年代漫才ブーム時の仰天エピソード2選
1980年代「B&B」として活躍した島田洋七さん。今回は弟弟子の島田紳助さんが「そのウソ、ホンマ?」と言われるほど話を盛ってらしたという洋七さんから伺ったエピソードを2つ。うそかまことか??? …
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シャツとステテコ姿の島田洋七さんが「自分(君)腹減ってるやろ!」
1980年代。B&Bとして「もみじまんじゅう!」というギャグと機関銃のようなボケの連発でツービート、紳助・竜介らともに漫才ブームを牽引、累計1000万部を超える大ベストセラー「佐賀のがばいばあちゃん…
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綾小路きみまろの「本番はいつから?」発言に一同、大爆笑
ご存じ「中高年のアイドル」綾小路きみまろさんとは20年以上前に、2度だけ私が構成をしていた番組にゲストで来ていただきました。 1つは「トミーズのはらぺこ亭」(関西テレビ系)で、有名になる前、…
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ライセンスの“宿題”の出来栄えに「絶対残って行ける!」と確信
藤原君と井本君、吉本男前ランキングの上位の常連だったライセンスも今年でコンビ結成26年を迎えました。 2人はNSC出身ではありませんが、私の生徒です。実はNSC大阪17期生に合格していたにも…
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若井小づえ・みどりさんとの思い出 「嫁にもぉーてぇ~!」「おきがーるに!」が有名
私がプロの漫才作家になった1984年当時、長い下積み生活がウソのように人気絶頂を迎え、今いくよ・くるよさんに迫る勢いで花開いた人気女性漫才コンビが若井小づえ・みどりさんでした。小づえさんの「嫁にもぉ…
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友近へのアドバイス「コントをする時に目の前にいると設定している見えない相手・第三者の情報を細かく決める」
初見で“絶対売れると思った4人(ナイナイ岡村、キングコング西野・梶原、友近)”のひとりで、NSCの教え子の中で、彼女以降「絶対売れる!」と確信した生徒はいまだ現れていません。女芸人として、特に面白い…
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【番外編】「うめだ花月」の打ち合わせ、渡した台本を照明さんがそのままゴミ箱へ…
1987年の夏ぐらいだったと記憶しています。 「漫才作家」を名乗って4年目。漫才台本だけを書いて、なんとか食べていた頃、当時の「うめだ花月」には20分間の枠で歌あり、コントあり、漫才ありの「ポ…
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憔悴しきったナイナイ岡村君を救った相方・矢部君の「公開説教」
2010年7月に岡村君が体調不良で約5カ月間の休養を余儀なくされ、一時は再起不能説まで飛び交いましたが、自分ひとりでなにもかも背負い込まない“ポンコツ宣言”をして、見違えるように明るくなり、無事復帰…
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ナイナイ岡村隆史「5カ月休養」の真実…一時は重病説まで飛び交った
学費未納でNSCを3カ月で退学になってしまったナイナイ。それでも、当時の2丁目劇場の支配人が「おもろいコンビ作んのがうちの仕事でしょ!」とNSC担当者とケンカをしてまで起用し続け、お笑いダンスユニッ…
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ナインティナインはNSCをクビになっていた!「岡村・矢部出入り禁止」事件
5月の2回目の授業で、本来は生徒たちに考えさせないといけないものをうっかり「君らボケとツッコミ逆やで!」と自分の意見を言ってしまいました。実は、矢部君も「ボケは俺とちゃう、絶対岡村さんや」とすでに気…
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ナイナイの最初のネタ見せ授業でうっかり「君らボケとツッコミ逆やで~」と
1990年、NSC大阪9期生のナインティナイン。初授業の自己紹介では「一発かましたる」と満を持して岡村君が、指名された矢部君を差し置いて、打ち合わせなしに「え~岡村隆史です!」と“かまして”ひとりで…
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若き日のナイナイ岡村隆史と矢部浩之 授業初日に「売れる」と確信した根拠
このコラムもおかげさまで100回目を迎えることができました。読者のみなさまに感謝いたします。今回から5週にわたって、NSC講師の原点になったナインティナインを書かせていただきます。 ご存じの…