島田一の介さんの策士な一面 師匠に「相方が見つからないので新喜劇に紹介を」と
人情味あふれるお父さんからカン違いだらけの大ボケまで、どんな役柄も自然体でこなされる吉本新喜劇には欠かせない“名バイプレーヤー”島田一の介さん。
私が新喜劇を初めて書いた1990年の「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」で“クビ”宣告されてしまいました。
その後、劇場から外され、地方営業のメンバーとして新喜劇を続けてらっしゃいましたが、95年に当時の“ニューリーダー”内場君、辻本君、石田(靖)君が会社に「ぜひ一の介さんを戻してほしい」と懇願し、劇場に戻られました。最初はニューリーダーからの懇願があったとは知らず、後で知った時に「必要としてくれてることがほんまにありがたかったな~」と話されていました。
戻られてからは新喜劇を書いていた2000年過ぎまで私の拙い芝居に毎回のように出ていただき、「ココはこっちの方がええん違うかな?」「この方が話がスムーズに流れると思うけどな?」と大先輩にもかかわらず決めつけることなく、いつも“提案型”で的確なアドバイスを頂きました。