プリンスホテルから「補強選手」として熊谷組へ 銀座ありWボーナスありの助っ人扱いだった
専大4年時、中日から「1位指名」を確約されたものの、身長173センチと小柄だった私はプロでやっていく自信が持てず、プリンスホテルの立ち上げメンバーになることを決めた。
秋のリーグ戦が終わり、専大の寮を出ると、無料で新宿プリンスホテルの部屋が提供された。ホテルから川崎・生田キャンパスまでのタクシーチケットが渡され、往復の通学で使うことができた。ホテル内のレストランでの食事は全てタダ。洗濯物はクリーニングに出していいという。当時の支配人には頻繁に食事に連れて行ってもらい、まさにVIP待遇だった。
ドラフト会議前の11月、プリンスホテルは記者会見を開き、社長兼西武の球団オーナーだった堤義明さんが入社内定メンバーを発表した。
私以外では、慶大の堀場秀孝(元広島など)、駒大の石毛宏典(元西武など)らで、この2人もその年の1位候補といわれていた。
そんなバブリーなチームだけに、1年目は相手チームから「プリンスにだけは負けるな」と目の色を変えられ、都市対抗の東京予選で敗退。出場を逃したが、石毛は東芝府中、私は熊谷組から「補強選手」に指名された。第1代表から同じ地区で敗退したチームの選手を当時は5人まで指名できた。まさにドラフトである。