田尾安志さん 野球人生でNO.1の思い出は楽天監督時代「ダントツ最下位で胴上げ監督なんていない」
田尾安志さん(元プロ野球選手・監督/69歳)
WBCが日本の優勝で終わり大いに盛り上がったが、この人の解説がテレビで聞けず残念だった、と感じた野球ファンもいたのではないか。中日、西武、阪神でバッターとして活躍し、楽天の初代監督も務めた田尾安志さんだ。田尾さん、今、どうしているのか。
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田尾さんに会ったのは、兵庫にある「ホテル竹園芦屋」1階の「Magnet Cafe」。あれっ、着ているのはサイクルウエア?
「自転車(ロードバイク)で25キロ走ってから来ました。ほぼ毎日乗っています。普段走るのは15キロくらいですが」
どうりで、よく日焼けもしているわけだ。
「以前はジョギングが趣味でしたが、両足の半月板がすり減って痛くなってからは自転車に。でも、最大の趣味は釣り。コロナ前までは年間70日以上、今も30日は海に出ています。いろんな釣りをしますよ。八本仕掛けで沖メバル、フカセ釣りでマダイ……。80センチオーバーのマダイをたくさん釣ったこともありますよ! 魚屋さんで魚を買うことはないですね(笑)」
楽しそうだ。
■難病の心アミロイドーシスを発症
「実は去年5月、心アミロイドーシスという心臓にタンパク質が蓄積して心機能が落ちる国指定の難病だとわかったんです。腕が時々しびれたり息切れしたりする程度だったのに、血液検査でBNPの数値が普通の人の10倍ぐらいあって、医者に『車いすが必要な数値です』と言われました。幸い、数年前に良い薬が開発されていたので、僕はそれを1日1錠飲むだけで病態を維持できています。それで、変わらず人生を楽しんでいるわけです(笑)」
心アミロイドーシスは、かつては“5年生存率が三十数%”ともいわれた病という。心中、穏やかではいられまい。
「いや、案外、アタフタはしませんでしたね。たぶん、それは僕がいつもその時々でやれることをやってきたから。野球は選手としても監督としても十分やったし、家庭では25歳で結婚した女房がいて、3人の子らは独立し、孫も3人。みな関西圏に住み、よく行き来していて幸せそのもの。いい人生だった、いつ死んでもいい、とすがすがしい気持ちになれました。だから今は、難病になっても早期発見できれば、家の中でくすぶっている必要はない、人生を楽しめるんだ、ということを微力ながらみなさんに見せたい、と思っています」
「それでも僕は前を向く」(山と渓谷社)をこの3月に上梓し、自身の体験を詳細にした。同書では野球人生についても振り返っている。大いに盛り上がったWBCを、プロはどう見たのか。
「僕もかつてW杯で日本代表チームのコーチを務めたので、日の丸を背負うプレッシャーは想像できます。大会が始まる前から、今回のジャパンがこれまででナンバーワンだと思っていました。でも、その日の出来次第という部分もあり、どうなるかわからない。それが、これ以上ない結末で終わって、みんなよくがんばった。投手陣の層が厚く、選球眼の良さなど、細かい日本の野球の良さが生きました。メキシコ戦では、大谷君にエネルギーをもらいましたね」
解説者として、ニッポン放送、サンケイスポーツと契約し、月10本ほど担当。WBCは、3年前に始めた自身のユーチューブ「TAO CHANNEL」でしゃべった。
「TBSとテレビ朝日が中継でしたから、その2局と縁のある解説者が担当していましたよね。僕は今年からフリーになり、フジテレビ系列からの縛りはなくなりましたが、その2局とは縁がなかったので。WBCは自宅のソファに座って、スコアブックをつけながら見ました。野球に疎い女房も、珍しくずっと観戦していましたね」