《松中信彦の巻》死球覚悟でないと抑えられなかった平成の三冠王
というのも、松中は社会人の新日鉄君津出身。当時の社会人野球は金属バットが使われており、松中もその打ち方が染み付いていた。フルスイングしても、僕ら打撃投手のボールですら、アンツーカーの手前くらいで打球が落ちてしまう。
その後も打ち方を克服して一軍に上がったら、今度はフォーク攻めに苦戦。登録と抹消を繰り返し、一軍に本格的に定着したのは入団3年目の99年でした。
そんな松中と小久保裕紀がテレビ局の企画で、バッティング技術の取材を受けた時の話です。
取材の合間、小久保が話題に出したのが「打球をつまらせてホームラン」。小久保が「極端にグリップの上あたりにボールが乗ると、重く感じるでしょ?」と聞いてきたので、僕が「なるほど、わかる」と言うと、「それを芯あたりでやるんです」と小久保。「え? わざと?」と驚く僕に、小久保はこう言いました。
「ボールの芯とバットの芯が当たったら、ボールがパーンと離れるでしょ? でも、芯をわざとずらすと、ボールがバットに乗った感覚がある。だから自分でスピンをかけられるし、打球の角度を調節できる。コンマ何秒の世界ですけど」