語り部の経営者たち
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(6)検索エンジン登録代行で価格破壊を実現
「日本で一番安い検索エンジン登録代行サービス」が山本氏が考えたキャッチコピーだった。世界中どこにいてもビジネスができるのがインターネットの強み。ロサンゼルスにいながら、日本向けのサービスが展開できるの…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(5)ロス留学時にネットビジネスの足がかりを築く
3年生の終わりに大学に休学届を出し、ロサンゼルスに向かった。語学留学と周囲には話していたものの、好きになった3歳上の台湾女性を追いかけたというのが本当のところだった。「当時は英語にも米国にもほとんど…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(4)ネットで知り合った台湾人彼女に3股発覚!
中央大3年生になって、将来をいろいろ考えるようになっていた。 「僕が入部している拳法部の就職先といえば、消防士か警察官。それはちょっと自分には向いてないなと、不安を感じ始めていた。やはり、イン…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(3)大阪桐蔭高では「アホの山本」と呼ばれて…
大阪桐蔭高校3年の時、インターネットで毎月20万円を稼ぎ、級友から「犯罪者」と呼ばれていた山本氏。つけられたアダ名がもうひとつある。「アホの山本」だ。 高2の時、担任の教師が「大学入試センタ…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(2)大阪桐蔭高校時代からネットビジネスで月収20万円
大阪府寝屋川市で生まれ育った山本氏。小学校5年の時、なけなしのカネを奪われる事件が起こった。ラジコンの図鑑を買って本屋を出ると、中3くらいのヤンキー2人が「ちょっと財布を見せてぇや」と近づいてきた。…
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チャットワーク創業者 山本敏行氏(1)ユニコーン企業創出を目指しエンジェル投資家を育成
「メールより効率的」と36万社以上の企業が導入するビジネスチャットツールを開発したチャットワーク(東証グロース上場)。創業者の山本敏行氏は現在、設立まもない企業に出資するエンゼル投資家と起業家を結ぶコ…
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ベルリング 飯野塁社長(4)国産初のエクモカーを開発 最大の敵は“揺れ”だった
「広い、揺れない、使いやすい」を追求した画期的な救急車を開発。その製造を進めている最中、ライバルメーカーの関係者から飯野塁に電話があった。それは「エクモカーを造れないか」というものだった。 「千…
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ベルリング 飯野塁社長(3)「広い、揺れない、使いやすい」究極の救急車
ベルリング社が手がけている消防車の製造・販売は、もともと数社が独占する閉じられた市場だった。 大学時代に起業し、まず消防車の屋根に取り付けるハイルーフで消防車部品事業に新規参入し、現在は消防…
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ベルリング 飯野塁社長(2)消防車を造るためにまずパーツを造った
長らく寡占市場だった消防車業界に、ハイルーフというパーツで新規参入しようと決めた飯野塁。 しかし、モノづくりの経験はゼロ。造ってくれそうな工場に手あたり次第に電話した。 銀行にも日参…
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ベルリング 飯野塁社長(1)消防車・救急車業界にひとりで飛び込んだ風雲児
消防車と救急車。どちらも日常的に目にしながら、どんな会社が造っているのか知る人は少ないのではないか。 消防車は大手1社と中小数社、救急車は大手2社がほぼ独占している。そんな閉じられた市場に、…
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プレコフーズ 髙波幸夫社長(4)コロナ禍で月次決算赤字に…社内一丸で新規営業を開始
髙波氏が社長に就任した1994年から25年間で売り上げを125倍に伸ばし、200億円に届くところまできていたプレコフーズ。ところが、新型コロナの影響は例外ではなかった。初の緊急事態宣言が発令された2…
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プレコフーズ 髙波幸夫社長(3)他社との差別化を求めて「高品質・安全」路線を決断
社長に就任した髙波氏が行ったのはコーポレートアイデンティティーの導入だけではない。小売りをやめて卸売業に特化した。父の代では主力だった小売りだが、利用客減少の波を止めるのは難しいと判断したからだ。 …
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プレコフーズ 髙波幸夫社長(2)“カッコ悪い”家業を継いで鶏肉屋の2代目に
米国での進学を決めた髙波氏。しかし、英語もままならないのに働きながら勉強することはできない。そこで髙波氏は父親に一通の手紙を送った。 「帰国したら家業を継ぐから支援してほしい、という内容の手紙…
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プレコフーズ 髙波幸夫社長(1)戸越銀座の鶏肉屋が「食品卸」になるまで
新型コロナ感染拡大によって飲食業界が大打撃を受けたことで、飲食店に食材を卸す食品卸業者も苦境に立たされた。実際、コロナ関連で倒産した食品卸は210件にのぼる(9月15日現在、帝国データバンク)。その…
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MICIN(マイシン)少額短期保険 笹本晃成社長(3)保険の価値を変えるゲームチェンジャーに
一度がんにかかると、5~10年は新たに保険に加入できない。なぜ、病気になって本当に困っている人が入れる保険がないのか。ジブラルタ生命で営業チームを率いていた笹本の疑問は“破裂寸前”まで膨らんでいた。…
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MICIN(マイシン)少額短期保険 笹本晃成社長(2)お金に魂を売った営業マンが抱いた疑問
笹本がいた第一勧業銀行は、富士銀行、日本興業銀行と統合し、2002年4月、みずほ銀行になった。2年後の04年1月、当時のAIGスター生命(現ジブラルタ生命)に転職する。 理由は「とにかく稼ぎ…
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MICIN(マイシン)少額短期保険 笹本晃成社長(1)病気になった人が安心して入れる保険を
健康な人が万が一に備えるもの──それが保険に対する一般的なイメージだろうが、笹本が目指したものは違った。本当に困っている人、つまり、今まさに病気になりそうだったり、病気を患っている人が安心して入れる…
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QDレーザ 菅原充社長(3)量産化に乗り出す新技術「量子ドットレーザーチップ」のすごさ
半導体レーザーに関する高い技術力を持つテックベンチャーのQDレーザは、「量子ドットレーザー」という新技術を使うチップを世に送り出そうとしている。社長の菅原充氏が「シリコン技術の最終ゴール」という量子…
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QDレーザ 菅原充社長(2)秋田の秀才が「半導体産業革命」を目指すまで
半導体レーザーの高い技術力を誇るテックベンチャーのQDレーザ。視力が非常に弱い人が物を見えるようにするアイウエアの開発に成功するなど、技術を世のため人のために生かす事業を展開している。富士通研究所の…
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QDレーザ 菅原充社長(1)半導体レーザー技術を駆使した“驚異のメガネ”を開発
QDレーザは富士通出身の技術者、菅原充氏が起業した、半導体レーザーの高い技術力を誇るテックベンチャーだ。その活躍分野は幅広いのだが、まずはわかりやすい一例として、ロービジョンと呼ばれる非常に視力の弱…