プレコフーズ 髙波幸夫社長(1)戸越銀座の鶏肉屋が「食品卸」になるまで
新型コロナ感染拡大によって飲食業界が大打撃を受けたことで、飲食店に食材を卸す食品卸業者も苦境に立たされた。実際、コロナ関連で倒産した食品卸は210件にのぼる(9月15日現在、帝国データバンク)。その中で新規顧客を大幅に増やし、注目されているのが業務用総合食品卸の株式会社プレコフーズだ。
■コロナ禍で大打撃も過去最高の顧客軒数を獲得
「21年度の新規獲得顧客数はコロナ前の19年度比138%。総顧客件数は過去最高の2万9000件にまで拡大しています」
代表取締役社長の髙波幸夫氏が話す。プレコフーズは髙波氏の父親が1955年に東京・大井町で創業した鶏肉専門店「鳥利商店」が前身だ。
「当時は小売りがメインで、納品していた飲食店は50件ほどという小さな商店でした。店舗の上が住まいでしたからよく手伝わされましたね。店が戸越銀座に移転した小学3、4年の頃には包丁を持って鶏を解体し、店で売る焼き鳥を焼いていました。私も商人の子ですから、時給30円という約束で、自分で台帳も作りました。そして総額が1万円になった時に父に台帳を見せてお金を請求。『子どもが大金を持っていたら危ないから預かっておく』と言われて、結局もらえませんでしたけれど」
一方で教育熱心でもあった父親の意向を受け、65年に私立小野学園小学校(現・品川翔英小学校)に入学。高学年になると中学受験のために朝学習、授業、補講、塾、家庭教師と朝から夜まで勉強漬けの日々を送る。その甲斐あって暁星中学に合格。将来は医師になりたいという夢を抱くようになる。
「そこで父に進路を相談しました。ところが父は息子に東大に行ってほしかったようで、それ以外は認めないと言う。仕方なく医師の道は断念しました」