五木寛之 流されゆく日々
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連載11077回 40年ほど前の今ごろ <3>
(昨日のつづき) そのころ私はラジオの深夜番組をやっていた。『五木寛之の夜』という番組で、最初から最後まで一度も構成台本ナシのぶっつけ本番という、変った番組だった。 ある夜、「風」というテーマ…
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連載11076回 40年ほど前の今ごろ <2>
(昨日のつづき) 話はボルヘスからジャズに転調する。40年前の『流されゆく日々』の一部である。 <(前略)先日、石黒ケイさんのレコーディングにアート・ペッパーが特別参加したらしいんですが、かつて…
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連載11075回 40年ほど前の今ごろ <1>
いまから40年ほど前の今頃、日刊ゲンダイのこのコラムに自分はいったい何を書いていたのか。 ふと、そんな興味がわいて、昔の記録を引っくり返してみた。 80年2月18日の『流されゆく日々』には、…
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連載11074回 見えない明日に向けて <4>
(前回のつづき) 昨年、コロナが流行しはじめると同時に、生活習慣上に一大変化がおきたことは何度も書いた。 半世紀以上の夜型生活が逆転して、朝に目覚め、夜は早く眠りにつく昼型に突如として変ってし…
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連載11073回 見えない明日に向けて <3>
(昨日のつづき) 毎日のように次から次へと、いろんな事件や問題がおこる。世にニュースの種はつきない。 しかし、それにいちいち反応して感想を書きつづることは、あまり気がすすまなくなってきた。きょ…
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連載11072回 見えない明日に向けて <2>
(昨日のつづき) 明日を予測することは、はたして可能なのだろうか。私は無理だと思う。専門家の意見も、実際にはほとんど当てにならない。 それはなぜか。 学問は科学である。そこに偶然という要素…
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連載11071回 見えない明日に向けて <1>
正直なところ、新型コロナの流行がこれほど長期間にわたって続くとは思っていなかった。せいぜい秋口か、年を越したあたりで鎮静化するだろうと漠然と予想していたのだ。 しかし、第2波、第3波とパンデミッ…
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連載11070回 「鬱」をどう考えるか <19>
(昨日のつづき) 新型コロナの流行は、たぶん現代史に残る大きな影響をもたらすのではないでしょうか。 ペストやコレラ、スペイン風邪などとちがって、どこかソフトな印象のあるコロナですが、そのおよぼ…
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連載11069回 「鬱」をどう考えるか <18>
(昨日のつづき) 「鬱」がついた言葉に、「鬱勃」という表現があります。 <何かをなさんとする意気が盛んに湧きおこるさま> と、辞書には解説してあります。<勃>は<勃起>の<勃>です。力強くそそ…
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連載11068回 「鬱」をどう考えるか <17>
(昨日のつづき) 折れずに屈する状態を「シナウ」という。字に書くと「撓う」です。しなやかに曲がることです。 のしかかってくる重さに突っ張るのではなく、曲がって、耐える。硬く、太い枝はどれほどた…
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連載11067回 「鬱」をどう考えるか <16>
(昨日のつづき) 「暗愁」を抱く心というのは、折れずにしなっている心だと思います。北陸の「雪吊り」の話にもどれば、強い枝、硬い枝は降り積む雪の重さに折れる。北海道のパウダースノーとはちがって、日本海…
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連載11066回 「鬱」をどう考えるか <15>
(前回のつづき) 以前、「ローリング・ストーンズ」が『スティール・ホイールズ』というステージを持って東京へやってきたことがありました。 そのとき当時の『ニューミュージック・マガジン』誌の依頼で…
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連載11065回 「鬱」をどう考えるか <14>
(昨日のつづき) ポルトガル語の「サウダーデ」には、いろんな訳語があります。しかし、どれも今ひとつバシッときません。アマリア・ロドリゲスのうたう『暗いはしけ』や『戒厳令の夜』のテーマを聴いていただ…
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連載11064回 「鬱」をどう考えるか <13>
(昨日のつづき) リスボンの暗い下町を歩いていると、ふと地の底から湧いてくるような歌声を耳にすることがあります。いや、ありました、と書くべきでしょうか。私の若い頃、もう半世紀以上も昔の話ですから。…
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連載11063回 「鬱」をどう考えるか <12>
(昨日のつづき) 以前、『戒厳令の夜』という長篇を書いたことがありました。映画になったりもしたので、年輩のかたのなかには憶えておられる向きもおありかもしれません。 映画の出来は、いま一つ、とい…
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連載11062回 「鬱」をどう考えるか <11>
(昨日のつづき) このところ若い人たちの自殺が増えてきているらしい。コロナで死ぬのは、圧倒的に高齢者で、自殺は若年層。特に女性の自殺数が急増しているようです。 専門家の意見として、鬱病がその大…
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連載11061回 「鬱」をどう考えるか <10>
(前回のつづき) 金沢の古い下町の話の続きです。 小路が迷路のように入り組んだ一画を歩くと、大正時代か明治の頃を連想させる家並みが続いています。 その低い家並みの玄関の柱に、なにやら金属の…
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連載11060回 「鬱」をどう考えるか <9>
(昨日のつづき) 二葉亭四迷が『ふさぎの虫』と訳したロシア語の「トスカ」。 これにもっともふさわしい日本語は、なかなか見当りません。あえて考えるなら、古代からこの国に伝来し、明治期に突然、復活…
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連載11059回 「鬱」をどう考えるか <8>
(昨日のつづき) むかし聞いた話で、忘れられないエピソードがあります。 シベリアの果ての寒村に、イワンさんだかニキータさんだか、その地に生まれ育った農夫がいる。 朝は、日の出とともに畠にで…
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連載11058回 「鬱」をどう考えるか <7>
(昨日のつづき) この二葉亭四迷が訳したゴーリキーの中篇小説の題が『トスカ』です。 「トスカ」とは、一般のロシア語の辞書などでは、「憂鬱」「憂悶」「憂愁」「気がふさぐ」「哀愁」など、いろんな感情…