五木寛之 流されゆく日々
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連載10538回 世を嘆くということ <1>
「嘆く」というのは、残念に思ったり悲しんだりすることだ。 「ため息」は「嘆息」である。 有名な『歎異抄』というのは、親鸞の弟子の唯円という人物が、師の死後、その教えが歪んで流布していることを嘆い…
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連載10537回 「弾丸列車」で大阪へ <2>
(昨日のつづき) 大阪駅のエスカレーターで、左側に立っていたら、うしろから右側へ押しやられた。 しばらく大阪へこなかったので、大阪式のエスカレーター利用のマナーを忘れていたのである。 東京…
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連載10536回 「弾丸列車」で大阪へ <1>
今日は頑張って午後3時に起きた。 ふだんは午前6時就寝、午後2時起床の規定正しい生活を50年以上つづけてきているのだが、ときどき不規定な日がはさまる。というのは、明日、大阪で講演をするので、今日…
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連載10535回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <8>
(昨日のつづき) 『ゲンロン2』の小特集「現代日本の批評Ⅱ」では、1989年から2001年までの思想界の展望がきわめて興味ぶかく語られていて、半分くらいは理解できた。マンガとかテレビについても言及さ…
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連載10534回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <7>
(昨日のつづき) 前にも書いたように、「ゲンロン」所載の論文類は、ほとんど難しくて私には歯が立たなかった。だが、対談、インターヴュー、座談会形式の記事は理解できないままに舞台を見ているような面白さ…
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連載10533回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <6>
(前回のつづき) 書店でみつけた「ゲンロン」を順不同に目を通していて「ゲンロン0」(観光客の哲学)を読んだときには、「これは『ゲンロン』というより『ブンロン』じゃないか」と思った。全編、東浩紀さん…
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連載10532回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <5>
(昨日のつづき) ところで『ゲンロン』という不思議な雑誌をはじめて手にとったのは、何年か前のことである。三田の「あゆみ書房」という書店の棚でみつけたのだ。その店は夜の11時過ぎまで営業しているので…
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連載10531回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <4>
(昨日のつづき) 父親の上昇志向は、世のエリート知識人の仲間入りをすることではなかった。せいぜい「亜インテリ」に分類される中間知識人のやや上のあたりに加わりたいといった、しがない望みだったと思われ…
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連載10530回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <3>
(昨日のつづき) これまで何度も書いたことだが、その寒村での暮しは、両親にとってかなり辛いものであったらしい。 名前だけは校長でも、日本人の生徒が一人もいない普通学校だった。当時、日本語が強制…
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連載10529回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <2>
(昨日のつづき) 私の父親は、丸山真男のいうところの「亜知識人」の典型のような男だった。 福岡県の、それも肥後地方と隣接した筑後の山奥の農家の出身である。たぶん長男でなかったことから、いずれは…
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連載10528回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <1>
先週、森本あんりさんと対談をさせていただいた。かねて森本さんの書かれた新潮選書『反知性主義』を、とても興味深く拝読していたので、対談の話がきたときには嬉んでお受けしたのだ。 ちょうど森本さんの新…
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連載10527回 ふたたび「孤独」について <5>
(昨日のつづき) 鴨長明が隠遁して山にこもったのは、50歳のときだった。 「人生50年」という時代にあっては、すでに世を去ってもいい頃である。彼はそれまでの人生を、さまざまな人間関係にもまれて生…
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連載10526回 ふたたび「孤独」について <4>
(昨日のつづき) このところしきりに「孤独」についてのコメントを求められることが多い。絆を求める声が3・11のあと、あれほど盛り上っていたのが嘘のようだ。人びとは今なにを求めて「孤独」を論じようと…
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連載10525回 ふたたび「孤独」について <3>
(昨日のつづき) そうなのだ。人は孤立して自らを閉じこめているかぎり、真の自己を発言できない。他者との接触や摩擦、衝突や協力のなかで「ただ一人の自分」を見出すのである。 その自分、「唯我独尊」…
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連載10524回 ふたたび「孤独」について <2>
(昨日のつづき) 西部邁さんは私にとって一面識もない思想家である。何冊かの著作を読んだり、「朝まで生テレビ」の番組で、その発言に触れたことがあるだけだ。 しかし西部さんが展開していたポピュラリ…
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連載10523回 ふたたび「孤独」について <1>
前に「孤独」について一冊の本を出した。 テーマがあまり前向きでないだけに、私としてはぼそぼそ独り言をつぶやいているつもりだったが、意外に大きな反響があって驚いた。 かつて3Kという言葉が話題…
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連載10522回 ラジオを聴きながら <5>
(昨日のつづき) TBSの『五木寛之の夜』は、私の番組としてはいちばん長く続いた番組だろう。 番組が終ったのは、提供会社のカネボウが大変な状況におち入ったからだ。スポンサーを変えて番組を続けよ…
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連載10521回 ラジオを聴きながら <4>
(昨日のつづき) 昔のTBSは小ぢんまりした社屋で、いまのように警備も厳しくなく、アットホームな感じだった。ビルの向い側にアマンドという喫茶店があり、打ち合わせの関係者や出演者でにぎわっていた。 …
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連載10520回 ラジオを聴きながら <3>
(昨日のつづき) ラジオ関東は、当時(1960年代)最もトンガったラジオ局だった。『ポート・ジョッキー』や『森永エンゼルアワー』などの人気番組とともに、夜のフリー・トーク番組『きのうの続き』は、た…
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連載10519回 ラジオを聴きながら <2>
(昨日のつづき) 当時のラジオからは、国民歌謡と呼ばれた戦意昂揚歌が、つぎつぎと放送された。 『海ゆかば』はもちろんのこと、『愛国行進曲』や『愛馬進軍歌』、『加藤隼戦闘隊』その他、無数の歌が大流…