喜怒哀楽のサラリーマン時代
-
竹内力さん<5> 支店対抗大運動会でも一番目立っていた
入社当初は「先生の顔に泥を塗るわけにはいかない。1年は我慢しよう」と窮屈な銀行員生活を踏ん張っていた。辞めたくても辞めさせてもらえない状況に陥り、カラオケスナックで飲んで歌って憂さ晴らしをしていた。…
-
竹内力さん<4> 積立預金してくれた客には“粗品攻撃”
リーゼント銀行員は、後にも先にもこの人だけだろう。前代未聞だが、営業成績はトップを独走していたという。その秘密は、どこにあったのか。 「この頭だとまず目立つわけ。それが良かった。オバチャンが『…
-
竹内力さん<3> 支店長にリーゼント認めさせた話術と実績
銀行員は8時に出社し、朝礼や開店準備をせわしなくこなす。ごくごく一般的な朝の風景も、“寝坊助”には押せ押せだった。 寮の管理人に起こしてもらうと、ダッシュで駅へ。満員電車に飛び乗って、揺られ…
-
竹内力さん<2> 研修の課題を寮の先輩に「お願いします」
晴れて三和銀行に採用されると、大阪での研修生活が始まる。その生活は高校時代とは一変。気ままに生きてきたお気楽な新卒には、耐え難いものだった。 「高校のときは単車を乗り回していたのに、独身のうち…
-
竹内力さん<1> 不良高校生を三和銀行に押し込んだ恩師
映画・ビデオの「難波金融伝・ミナミの帝王」シリーズで主役・萬田銀次郎を演じ、人気を博した俳優・竹内力さん(53)。ヘアスタイルはリーゼント、野太い声、巻き舌の関西弁を操る役柄があまりにハマり、迫力あ…
-
山中秀樹さん<5>日枝会長から「いてくれるだけでいい」と
入社25年目の2006年、47歳で転機が訪れる。ライツ開発局への異動だった。 「異動のときは、通常、1カ月ほど前に内示を受けるのですが、私には、その1日前に内々示がありました。当時の村上光一社…
-
山中秀樹さん<4>出番が少ない女子アナにどう仕事を回すか
2004年に45歳でアナウンス室の専任部長(デスク)になる。キャリアを積み重ねての出世だ。部下を管理する仕事が増えるが、苦い思い出もあるという。 「フジテレビは、女子アナブームの中心にいたので…
-
山中秀樹さん<3> 深夜の山で逃走中の犯人に自首を説得
入社4年後の1985年、系列局を含めてアナウンサーの資質向上を目的に「FNSアナウンス大賞」が創設された。記念すべき第1回の大賞受賞者に輝く。そのアナウンスとは、ある容疑者へのインタビューだったとい…
-
山中秀樹さん<2>「タモリさんと毎週のようにラウンド」
アナウンサーという仕事柄、地元・広島や大学の仲間からは「芸能人と付き合えていいな」とうらやましがられる。しかし、ニュースの現場が長いだけに、うらやましがられるような経験は少ないという。それでも、ない…
-
山中秀樹さん<1> アナの適性?マゾヒスティックでないと
幼いときからアナウンサー志望で、広島の修道中高時代は放送部に所属。高2のときにNHK杯全国高校放送コンテストで全国2位に輝く。アナウンサーへの思いをより強くして、1981年、早大第一文学部から晴れて…
-
荻原博子さん<5> 興味持ったことを取材し書ける幸せ
入社3年目に担当した大阪新聞の連載「なにわの友達」を通して、東芝、マクドナルド、サントリー、東京建物、住友不動産、丸紅といった有名企業の社長や副社長、常務らにインタビューさせてもらいました。 …
-
荻原博子さん<4> 10年間のラジオ経験で話せるように
カメラの前で話すのは本当に苦手でしたね。TBSの情報番組のコーナーが1年半でやっと終わることが決まったときは、心底ほっとしました。ただし、それも束の間で、すぐにTBSラジオからオファーが来て、元NH…
-
荻原博子さん<3>原稿は手書きで3、4度書き直しました
編集記者時代は、原稿は手書きで、事務所の社長であるデスクに見てもらうまでに3度は書き直していました。4度目でやっと「仕方ないな」と手を入れてもらえる。それも真っ赤に直され、何度も書き直していました。…
-
荻原博子さん<2> 1人で“賃金闘争” 1枚200円の歩合制に
経済事務所で働いていたころ、社長であるデスクとは喧嘩ばかりしていましたね。社員といっても給与は安かったので、1人で賃金闘争をしていたんです。歩合制にしてくれるように要求し、先生もオーケーした。ただ、…
-
荻原博子さん<1> バイト募集で見つけた事務所で正社員に
独立して30年以上。新聞、雑誌、テレビのコメンテーターとして第一線で活躍するが、もともとはシナリオライター志望。明治大学時代から筆で独り立ちする道を探していたという。 学生のころは物書きにな…
-
垣田達哉さん<5> 法律の大改正で食品表示の専門家に
1989年4月、東芝系のテック電子(現東芝テック)に転職しました。仕事内容は前と同じ。バーコード・プリンターの商品企画・販売促進でした。 そして91年に、食品添加物の表示をめぐり、法律の大改…
-
垣田達哉さん<4> 過去のデータから未来は予測できない
会計用ワープロをつくっている会社を辞めたあと、2年ぐらいはバイト暮らしでしたね。友人の小さな会社の経理を手伝う一方で、配送の仕事をしてみたり、コンピューター系で働いてみたり。その頃から独立志向があり…
-
垣田達哉さん<3> 優秀な営業には3つのタイプがある
大学時代の友人に誘われて1回目の転職をした会社は、会計用のワープロをつくっていました。今では当たり前過ぎて「はあ?」と思われるでしょうが、このワープロ、白紙に罫線を自在に引ける機能があったんです。当…
-
垣田達哉さん<2>締め日のズレを利用し売り上げつくる商習慣に違和感
経理として入社した中堅アパレルメーカーでは、2年目に、経営企画室の業務も手伝うようになりました。月次報告の予算や売り上げを計算する仕事です。このときに内側から会社の実情を知ることができました。いった…
-
垣田達哉さん<1> 先輩女性社員に教わった2つの教え
食の安全を揺るがすような事件が起こるたび、テレビや新聞、雑誌に求められ、意見を述べてきた。食品問題の第一人者として知られる垣田達哉さん(64)は、食育や食品表示の専門家だ。もっとも、サラリーマン1年…