喜怒哀楽のサラリーマン時代
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三遊亭美るく<5> 叱られたい願望で歌る多師匠に弟子入り
2社目の会社は、落語家になろうと決意を持って退社しました。簡単な道ではないとは思っていましたが、競争意識が強く人間関係が希薄な大手IT企業で過ごすうちに、「私、叱られたい!」という気持ちが強くなって…
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三遊亭美るく<4> 世話を焼くのがおかしい環境に違和感
大手IT企業に転職してからは、人との関わりを求める日々でした。 私はそれまで、仕事でもっとこうしたほうがいいと思うことがあったり、誰かの間違いに気がついたりしたら、その人に注意やアドバイスを…
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三遊亭美るく<3> 大手IT企業に転職し驚いた「挨拶はNG」
できないことやミスも多かったものの、充実した毎日を送ることができたソフトブレーンには、1年3~4カ月くらい在籍していました。上昇志向の強い仲間たちに囲まれ、私も「キラキラなキャリアウーマンになりたい…
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三遊亭美るく<2> 入社時に「退職願」の書き方を教わった
新卒で採用されたソフトブレーン株式会社では、朝礼のときに社員が交代で3分間スピーチをやっていました。プレゼン能力を磨いたり、世の中の出来事に敏感に意識的に過ごすようにしたりというような目的だったと思…
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三遊亭美るく<1> 初めての仕事は自分で使うPCの組み立て
2006年秋に落語界に足を踏み入れ、11年に二ツ目に昇進した三遊亭美るくさん(37)。まだまだ男社会で、女性は珍しいといわれる世界で奮闘中だが、入門前は時代の最先端を走るIT企業2社をわたり、バリバ…
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アントキの猪木<5> 懲戒3度、でも免職にはならなかった
こうして、自分の公務員生活は終わりを迎えました。専門学校を出て10年弱の日々でした。 在職中は、懲戒を受けること3度。懲戒2度で免職ですから……、アレ? おかしいですね。処分を受けても通常通…
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アントキの猪木<4> 29歳で退職を決意も上司や先輩が…
アントキの猪木さんは29歳(6月8日が誕生日)になる直前の2002年5月、茨城・千代田町役場(現かすみがうら市役所)を退職する決意をした。 「観光課で雪入ふれあいの里公園の施設管理をしていまし…
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アントキの猪木<3> 公園管理へ異動、シシ鍋会でまた事件
千代田町役場(現・かすみがうら市役所)の福祉課の配属時、アントキの猪木さんは不正受給が疑われる生活保護者を尾行する任務を仰せつかった。 「当時の生活保護費は役場で本人に手渡しで、ごく一部ではあ…
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アントキの猪木<2> 生活保護の不正受給者を尾行したら…
千代田町役場の土木課の仕事にも慣れた頃、福祉課への異動辞令が下った。 「福祉課といえば、役所の中では一番大きな予算を持っている部署。その分、仕事量も多い。当時、福祉課の係長が半年間も休んでいて…
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アントキの猪木<1> 町役場で出会った土木課長の金言
「お支払いは現金ですか~!」と、アントニオ猪木の物まねでお馴染みのアントキの猪木さん(43 本名=小松原裕)。神田の居酒屋「わっしょいジャパン倶楽部」など複数の飲食店を経営する実業家としての顔も持つ。…
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ふじいあきらさん<4> おなじみ“口からトランプ”は1週間で習得
派遣社員を辞め、友人と一緒に働くようになってからも、ふじいさんの手品熱は冷めるどころか増す一方だった。 「現実に給料をもらっているわけですから仕事をしなくちゃいけないとは思ってました。ですが、…
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ふじいあきらさん<3> 正社員辞めても後悔なんかなかった
最初の会社を入社2年足らずで辞めてしまったふじいさんは、友人の会社で働くまでの半年間ほど、プログラマーとして派遣会社に登録し働いていた。 「まだ若かったんですね~、あのころは。とにかく、“給料…
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ふじいあきらさん<2> 大卒社員との給与格差に愕然
「ボクが入社したのはコンピューター関連のベンチャー企業で、入社早々、プログラマーとして数人のグループで大手都市銀行に出向になりました。そこには他社から出向している別のグループもいて、それぞれが集団で銀…
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ふじいあきらさん<1> 高校時代はパソコン漬けの毎日
カード・フロム・マウス――。口からトランプが滝のように出てくるマジックといえば、ご存じ、ふじいあきらさん(50)。テレビ番組では、いつも“挨拶代わり”にこの手品を披露して、視聴者の目をくぎ付けにする…
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髙山善廣さん<5>呼び戻されたプロレスで生涯現役を目指す
「プロレスをやりたいから会社を辞める」――そう言うと両親は「何をバカなことを」と呆れた様子でした。 「会社を辞めるのはいいけれど、プロレスに戻るのは反対だ」と言うのです。兄も、「一度挑戦してダメ…
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髙山善廣さん<4>プロレスに引き戻してくれた偶然の出会い
自分の居場所ではないと感じながらも転職に踏み切れずにいたフジサンケイグループのサラリーマン時代を抜け出すキッカケとなったのは、プロレス時代の知り合いと再会したことでした。 当時、飯田橋にあっ…
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髙山善廣さん<3> プロレスへの未練で二の足を踏んだ転職
営業成績が上がらず、居場所もないと感じながら、もがいていたフジサンケイグループ時代、生きている実感を得られたのは、夏の土日にやっていたライフガードのアルバイトのときくらいでした。 ライフセー…
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髙山善廣さん<2> 話は弾むが営業成績はからっきしで…
フジサンケイグループの営業開発部では、企業の偉い人たちを相手に「産経日本紳士年鑑」(当時)に出てくれるように持ちかけたり、紳士年鑑に付随した雑誌の広告営業をしたりというのが仕事でした。インタビューを…
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髙山善廣さん<1> フジサンケイグループに歩兵として入社
1992年にUWFインターナショナルでデビュー。以降、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、新日本プロレス、PRIDEなどで熱闘を繰り広げた髙山善廣さんは「プロレス界の帝王」として知られる。196セ…
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荒俣宏さん<5>海外クレームを解決した“昆虫博士”の手腕
日魯は漁業がメーンの会社ですから、生物好きの人がたくさんいました。オタクが多くて、ある中堅の先輩などはとにかく昆虫に詳しかった。今は昆虫界のレジェンドだと思いますが、当時はよく有休を取っては昆虫採集…