喜怒哀楽のサラリーマン時代
-
亀渕昭信さん<4>「過労死という言葉はなかったけど…」
往年の名曲「世界は日の出を待っている」がラジオに流れる中、レコーディングスタジオにいる亀渕さんは、音に合わせて口笛を吹いている。 「この『亀渕昭信のお宝POPS』は、地方ローカル局37社が集ま…
-
亀渕昭信さん<3> 堀江さんには今も悪いイメージはない
ニッポン放送の社長だった2005年2月、ライブドアの買収騒動に巻き込まれた。 「負け惜しみでも何でもなく、サラリーマンとして稀有な経験をしたと思っています。騒動の2カ月後に堀江(貴文)さんと和…
-
亀渕昭信さん<2> たけし、みゆきをラジオに起用し大ヒット
オリンピックの年。ニッポン放送の1964年入社は、アナウンサーしか採用がなかった。 「普段から『ど、ど、どうなんだ』とひどい吃音なのに、なぜか合格。同期は今も仲良しのアンコーこと斉藤安弘さんで…
-
亀渕昭信さん<1> 高崎一郎さんが「就職どうする。うち来るか」で入社が決まった
「はーい、カメでございます」――。50年前にラジオを聞いていた中学生も今や60代の半ば。すっかりはげ上がった頭をなでながらも、この声を聞いた瞬間、当時のニキビ面の少年の頃を思い出すかもしれない。ニッポ…
-
ジェーン・スー<5> 信用できない人との仕事は身にならない
10年以上の会社員経験について、「仕事をつらいと思ったことはありません。新卒のころより、今の方がずっと楽しい」と振り返る。 1社目の時、頼りにしていた先輩女性に「最後は人だよ」と言われたこと…
-
ジェーン・スー<4> 1社目の同僚が立ち上げた会社でフリーに
30代半ばで「THE・サラリーマン」の生活を終えました。理由は、「また違うことがしたい」。すでに2回転職を経験していましたから「なんとかなるだろう」と楽観的でしたね。出世欲はまるでありませんでしたか…
-
ジェーン・スー<3> 規則正しい生活で夜の時間を持て余し
2つ目の会社を辞めて半年後、眼鏡製造販売のベンチャー企業に入りました。サブブランドのテコ入れ用人材を探していたタイミング。私が転職活動しているのを知っていた友人から話を聞き、応募しました。ここでは企…
-
ジェーン・スー<2> “世界中の雑用”こなし気付けば朝に…
28歳の時、同業他社に転職しました。学生時代から仲良くしてもらっていた別の大学の先輩がいた会社で、「海外マーケットを意識した新しいプロジェクトを手掛けるから手伝ってほしい」と言われたのがきっかけです…
-
ジェーン・スー<1> レコード会社入社直後に母が倒れ休職
TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」でパーソナリティーを務め、「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」で第31回講談社エッセイ賞を受賞するなどマルチな才能で注目されるジェーン・スーさん。音楽クリ…
-
ダイアン津田篤宏<5> 苦手な相手の話も聞き役に徹する
ダイアンはコンビ結成2年後に頭角を現し、2002年に「第3回笑わん会 最優秀賞」を受賞。06年に「第35回上方お笑い大賞 新人賞」を取って、翌07年にM―1グランプリで決勝進出、7位に入賞し、全国区…
-
ダイアン津田篤宏<4> “相方”に恵まれたアルバイト時代
1999年、23歳で吉本の養成所NSC大阪校に22期生として入学。 2000年4月、中学の同級生、西澤さんとお笑いコンビ「ダイアン」を結成した。同期には、キングコングやNON STYLEがい…
-
ダイアン津田篤宏<3> ストーカーのように隣の女の子を…
「逃げがちな性格だった」という津田さんも、2つ目の「靴・カバン修理と合鍵専門店」での仕事は辞められなかった。業務内容が気に入ったのに加え、人間関係が良好だったからだ。 「店長との相性が良かったん…
-
ダイアン津田篤宏<2>“精神的にまいってます顔”を身につけた
新卒で入った建材会社は、タイルや便器を運んで、手取り30万円と悪くはなかった。ただ、性分に合わずに悩む日々を過ごしていた。 「辞めようか続けようか自問自答の日々で、上司に『これ以上働かなくてい…
-
ダイアン津田篤宏<1> ルート営業で月給30万円の高給取りに
関西では知らない人がいない若手実力派お笑いコンビのダイアン。滋賀県愛知郡愛知川町(現愛荘町)出身で中学の同級生、西澤裕介さん(ボケ担当)と2000年にコンビを結成。07、08年と2年連続でテレビ朝日…
-
西山昭彦さん<5> 資格のない部下を後任に抜擢
アーバンクラブの事業を進めるうちに、異業種のサラリーマン1000人との交流が生まれる。それがマスコミの目に留まり、コメントを求められることが増えた。 「サラリーマンの苦労や悩みをたくさん見聞き…
-
西山昭彦さん<4>「法人会員制」で新規事業が初年度から黒字
新規事業部に異動すると、社内ベンチャー・アーバンクラブの設立に奔走。2年後の38歳の時、新会社を設立し、その取締役として事業がスタートした。1980年代はアーバンクラブとともに動いていく。 「…
-
西山昭彦さん<3> 3年間の中東研究で掲載記事100本
ハーバード大大学院から凱旋帰国して本社でエネルギー政策に携わって3年。「1社ではなく、もっとマクロに分析したい」と目を向けたのは、政府系シンクタンクの中東経済研究所(現・日本エネルギー経済研究所中東…
-
西山昭彦さん<2>タクシーに乗ったら英語が通じない…
営業所(1975~78年)では、風呂や暖房などいろいろなガス機器のキャンペーンを張って、販促に結びつけていた。そこで成果を挙げれば、現業スタッフは出世につながる。ある時、中途ながら売り上げ実績ナンバ…
-
西山昭彦さん<1> 営業スタイル一新する販売手法を提案
一橋大は国立大でキャリア教育に力を入れる先駆けで、それを統括するのが西山昭彦特任教授。西山氏が学生一人一人と面談して行うキャリアカウンセリングは、1カ月先まで予約で埋まり、“行列ができるキャリア相談…
-
石橋康哉さん<4>カネボウの不祥事と再生に直面
武蔵大学出身の僕は社内で超少数派だった。でも、学閥に属さなかったから社長になれたと言っているんです。 2005年の不祥事は多くの人が気付いていました。ただ、今を何とか乗り切りたい、そうすれば…