喜怒哀楽のサラリーマン時代
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石橋康哉さん<3>左遷されたかと思った小田原工場への異動
営業時代は、最前線に立つ美容部員の女性たちがどうやったら活躍できるかを常に考えていました。自分では売ることができないし、主役は彼女たちでしたからね。それが人事畑への異動につながったようです。32歳の…
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クラシエHD社長・石橋康哉さん<2> UFO風船で大当たり
「社内で成功しているものは真似したほうが勝ちだ」と僕はよく言っています。センスがなくても卑下する必要なんてない。アンテナを高くして少しでもいいものを取り入れようと思えば、仕事の精度は上がるんです。クラ…
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クラシエHD社長・石橋康哉さん<1> 仕事は三宮の飲み屋で学んだ
大学を卒業してカネボウ化粧品に入社して驚いたのは同期の優秀さでした。研修でグループディスカッションをするとマーケティングの用語がスラスラ出てくるし、テストの点はいい。それで、僕は「人の2倍働くことで…
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辻よしなりさん<4> 不甲斐ない自分にリベンジの17年半
プロレス番組の実況を担当しながら、辻さんは朝のワイドショー「やじうま」のスポーツコーナーや、94年にリニューアルした「トゥナイト2」など、テレビ朝日の朝夕の看板番組でも自身のコーナーを持ち活躍した。…
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辻よしなりさん<3> トゥナイトのリポーターで自信ついた
入社2年目の春、辻さんは「おはようテレビ朝日」の担当になる。1年目に「ワールドプロレスリング」を外されて以来、ようやく出番が回ってきたのだ。同時に、朝の番組担当になったため、“スパルタ上司”の研修も…
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辻よしなりさん<2> 昼も夜も上司と一緒 1年間の新人研修
テレビ朝日に入社して3カ月が過ぎた7月上旬、辻さんは新人研修の“卒業試験”でつまずく。及第点をもらえなかったのだ。 「ボクの研修期間は7月以降も続きました。当時、アナウンス部の上司だった舟橋慶…
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辻よしなりさん<1> 入社1年目は「記憶から消したい」
1990年代、この人のプロレス実況に、手に汗握ったファンは多かった。元テレビ朝日の辻よしなりさんだ。慶応大学卒業後、83年4月、約1000倍の難関を見事突破してアナウンサーになった。39歳で独立する…
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吉田照美さん<5> 反体制発言は番組終了と関係ないと思う
来春をもって「飛べ!サルバドール」が終わり、文化放送で36年半も続いた帯番組のレギュラーは、いったん、途切れることになった。 「たまたま連続が途切れるだけで、それほど悲観はしていませんよ。今は…
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吉田照美さん<4> 「1年で終わる」と陰口叩かれた番組が20年も
1987年4月に始まった「やる気MANMAN!」(午後1時~)は、2007年3月まで都合20年続いた長寿番組だった。 「プロデューサーの中根義雄さんと番組を始めたころは、まさか20年も続くとは…
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吉田照美さん<3> フリー転身の際に文化放送とギクシャク
文化放送の入社5年目、早くも冠番組を持った。若者から支持された「吉田照美の夜はこれからてるてるワイド」だ。 「この番組が当たって、半年くらいで同時間帯の聴取率トップになった。マッチ(近藤真彦)…
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吉田照美さん<2> 最初は小島一慶さんのマネだった
文化放送の最終面接に残った中村克洋と、くり万太郎は、吉田と同じ早稲田大学アナウンス研究会のメンバー。しかし、2人は直前にそれぞれNHKとニッポン放送に内定が決まり、最終面接を辞退した。吉田さんにとっ…
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吉田照美さん<1>遠藤周作さんと出会い銀行就職をやめた
文化放送の看板アナを経て、現在はフリーアナとして活躍する吉田照美さん。先日、パーソナリティーを務める文化放送「吉田照美飛べ! サルバドール」が来春で終了することが発表され、36年半続いていたラジオ連…
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浜矩子さん<5>パフォーマンス仕事は三菱総研で評価されず
ロンドン駐在は8年10カ月。「まずは2年、その先は様子を見ながら」という話でしたが、成り行きでズルズルと延びました。 この間はパフォーマンス仕事が中心で、現地メディアの取材を受けたり、カンフ…
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浜矩子さん<4>ロンドン事務所は三菱商事の一角でスタート
入社15年目の1990年に1つの転機が訪れました。ロンドン赴任が決まったのです。 当時は「欧州の要塞化」という言葉が広まっていたころ。欧州の統合が進んでいくと、その周囲には高い関税障壁がつく…
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浜矩子さん<3>レーガン時代に恐れられた課徴金制度を研究
1980年ごろの職系転換で、研究職になりました。待遇も男子の研究員と同列です。ただ、必要に応じて事務的なこともやっていました。すでに仕事の実態は研究の方にあったので、制度的に追認されたところで、日々…
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浜矩子さん<2>「事務副主任」の肩書で経済分析
三菱総研の1975年同期入社は20人ぐらいいたでしょうか。そのうち女子は12~13人で、大卒は研究補助として研究部門に配属されました。研究職ではなく事務職なので、伝票を書いたり、コピーしたり、新聞を…
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浜矩子さん<1>「女子」というだけでなれなかった研究職
テレビ、新聞、雑誌で活躍するエコノミストの浜矩子さん(64)は、幅広い教養と知識に裏打ちされた鋭い分析で定評がある。大学教授に転じる前は、日本を代表するシンクタンクの三菱総合研究所に在籍。いかにも研…
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福田こうへい<5> 営業も歌も本番で100%出せるよう努力
歌も呉服のセールスも、覚えてしまえば、一生もの。年を重ねるごとに人生の深みが増し、どちらも死ぬまでできる仕事です。それだけに共通することが多いんですよ。 日々思うのは、やっていないことはでき…
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福田こうへい<4> お客さんの顔が見えていれば売れる
盛岡で冬に商売をするのは難しいですね。大雪は降りませんが、気温はマイナスになりますから、みな家から出なくなります。でも、冬だからって売れないわけじゃないんです。お客さんを待たせておく、という手もある…
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福田こうへい<3> 女性の好みは足元で分かる
セールスは、お客さんに商品をいっぱい見せればいいというものでもありません。むしろ、お客さんの趣味を理解して一発で提案するほうが望ましい。そのために、お客さんのプロファイリングが肝心です。 そ…