喜怒哀楽のサラリーマン時代
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福田こうへい<2> 嫁姑のグチを聞かされたら一人前
社長のそばで3年、そのあとは営業、つまりは訪問販売です。といっても、成果を出せるようになったのは、27、28歳ぐらいからでした。2年近くは種まき期間でしたね。「着物は高いから売れない」と自分に言い訳…
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福田こうへい<1> ゴルフ場で農作業の基本を学んだ
3回目のNHK紅白出場が決まった演歌歌手の福田こうへいさん(40)は、歌手の傍ら、昼間は呉服屋の敏腕営業マンとして活躍していた変わり種だ。 ◇ ◇ ◇ 高校を卒業して、最初に勤…
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吉川祐二さん<4>「剣道の先生に」と師範からスカウトも
「保安2係」を担当していましたから、やくざ者と関わる機会も少なくない。童顔でしたから、なめられないようパンチパーマはかけてましたね。 眼光の鋭さも刑事人生で身についたもの。スナックなんかに飲み…
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吉川祐二さん<3>元AV女優が取り調べ中にいたずら書きで…
保安2係(銃器、薬物担当)の仕事で印象深かったのは、1990年代初めに逮捕、起訴されたAV女優の覚醒剤事件ですね。当時、彼女は人気の女優でしたが、実物もかなりの美貌。みんな我を忘れるぐらいでしたね。…
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吉川祐二さん<2> 同い年の後輩と競って総監賞も
新宿署勤務になって1カ月ちょっとで、希望していた少年係に配属されました。31~32歳ぐらいのときですね。周囲は「きのう、きょう来たような人間にできるのか」という感じでした。 最初に「ホテトル…
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吉川祐二さん<1>大げんかした世田谷署刑事課長に認められ
元警視庁刑事の吉川さんは、さまざまな犯罪のコメンテーターや刑事ドラマの監修などで活躍中だ。小学校の1年生から剣道を始め、卒業文集には「警察官になって世の中を平和にする」とつづっていたという。 …
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日本エレキテル連合・中野聡子<5>恥をかいた方が成長する
昼はOL、夜はタレントスクールでお笑いのタマゴという二重生活は約2年間続きました。京都で会社が終わると電車で大阪に出て、トイレで派手な服に着替えてメークを施す。2つの顔を持つ女です。水商売のお姉さん…
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日本エレキテル連合・中野聡子<4>イチローの言葉と出合い
家電の下請け工場に派遣スタッフとして働き始めた頃は、モテモテのモテ期でした。理由は簡単、工場には若い女がほとんどいなかったからです。たったの5カ月で辞めてしまった下着メーカーでの駄目駄目な会社生活が…
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日本エレキテル連合・中野聡子<3> カリスマ派遣社員に
短大を出て、せっかく雇ってもらった下着デザイン会社をたったの5カ月で辞めてしまった私は、ごく普通の社会生活を送ることもできませんでした。辞めてすぐ大阪・門真市の文化住宅を引き払う余力もなく、辞めたそ…
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日本エレキテル連合・中野聡子<2> スクラッチで現実逃避
「さっきのことなんやけどな」って、ドアを開けるなり怒鳴られました。悪いのは私で、倉庫にしている事務所の上の階のドアをノックもせずに開けて、驚かせてしまったんです。 「話しかける前に気づかせえや!…
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日本エレキテル連合・中野聡子<1> 1年目は「路傍の地蔵」
今週は「ダメよ~ダメダメ」で知られるお笑いコンビ「日本エレキテル連合」の中野聡子さん(33)。このほど肺炎での入院からカムバック。「おかげさまで元気になりました」と笑顔だ。 ◇ ◇ ◇…
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泉麻人さん<5>深夜ラジオ出演でペンネームを考えた
週刊TVガイド時代にお世話になった方に、放送作家の腰山一生さんがいます。47歳と若くして亡くなってしまったんですが、当時の有名な放送作家で、古舘伊知郎さんに目を向けて、古舘プロの立ち上げに関わったよ…
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泉麻人さん<4> ライバル誌からのヘッドハント断った理由
寛容な会社で、本業の「週刊TVガイド」の仕事をしながらアルバイト原稿を書くことができたのはよかった。編集部の先輩や上司は「それで仕事が広がるならいいんじゃないの」と認めてくれて。マガジンハウスの前身…
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泉麻人さん<3> 忘年会でドッキリ、持ちネタ披露したら…
1980年前後は、パチンコ屋にヒット曲のシングル盤が並んでいた時代ですよ。ボクは歌謡曲が好きで、学生時代はパチンコで勝つと、南沙織や天地真理とかアイドルのヒット曲に換えていたから、週刊TVガイドの取…
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泉麻人さん<2> NHK内部はテロ対策で通路が迷路のようで…
NHKの局担のころにかわいがっていただいた方に佐々木昭一郎さんがいます。「マザー」や「四季・ユートピアノ」など国際的なコンクールでも数多くの賞を受賞したNHKのドラマディレクターです。 ボク…
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泉麻人さん<1>松田聖子や田原俊彦を舞台袖で見たのが自慢
もともと、コピーライターになりたくて、慶応大学では、話題の広告学研究会に所属していました。主将をやっていた1977年、「週刊TVガイド」からCM制作の依頼が舞い込んできたんです。 当時は、外…
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くまだまさし<4> 「実行したら反省しろ」の社訓を胸に…
東京は荒川区の下町に生まれた僕は夢も希望もなく、勉強もからっきしだったので、関東一高を卒業とともに就職しました。バブル末期の1992年。避雷針設置会社の作業員となり、毎日約16時間もの長時間、スコッ…
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くまだまさし<3>荒んだ心に染みた日暮里ホームの天玉そば
深さ2メートルの穴の底では、空を見ようにも足場に阻まれてかなわず、頭上を行きかう現場の人たちの安全靴から土がボロボロ落ちてきて、うっかり上を向いていることもできません。 避雷針設置会社の作業…
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くまだまさし<2> 避雷針を設置中に雷がドーン!
「今すぐ辞める」って念仏のようにつぶやいていました。「1年間だけ頑張ろうって言ったじゃないか」という内なる声も多少はするものの、「絶対に嫌だ」と打ち消すの繰り返し。週6日、1日15時間という長時間労働…
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くまだまさし<1> 避雷針設置会社で深さ2mの“墓穴”堀り
ジュリアナ東京が芝浦で大ブームを巻き起こした1992年、甲子園の常連校で知られる関東一高を卒業した僕は、避雷設備の部材販売と設備の会社に入社しました。 バブル崩壊の年とされていますが、都心で…