林家正蔵 大いに語る
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(10)「『弟さん、大丈夫?』って聞かれても正直困るんです。『俺に聞かないでよ』と」
山田洋次監督作品に出演した正蔵は、俳優としても成長した。 「監督は僕には厳しいのに、『家族はつらいよ』で(立川)志らくさんと共演したら、彼には優しいんです(笑)。志らくさんは、『それは兄さんを…
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山田洋次監督に言われた「あなたにうまい演技は望んでません。あなたの人柄が出ればいい」
正蔵は本業以外に、俳優としても活躍している。映画は、山田洋次監督作品の「家族はつらいよ」シリーズ3作に出演している。 「きっかけは、小朝兄さんに『頓馬の使者』をやってみないかと言われたことです…
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僕はどんな批判も「そういう意見もあるんだ」と受け入れちゃうんです
正蔵襲名の話が持ち上がった2004年は、歌舞伎界で中村勘九郎の勘三郎襲名が決まり、翌年披露興行が行われる予定だった。寄席の関係者が、落語界でも大名跡の襲名をと考えたのも当然であろう。 「おふく…
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古今亭志ん朝の教え「大きな噺をやりなさい。細かい笑いがなくても印象に残る」
マスコミの仕事と並行して、落語に精進しようとするこぶ平に、試練を与えたのが春風亭小朝であった。 「『この話はあの師匠に稽古してもらいなさい』と紹介してくれました。たとえば、『星野屋』は小団治師…
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真打ちがタレントにいじられても「テレビと落語は別物と割り切ってましたから」
こぶ平の真打ち昇進は1987年。入門わずか9年のスピード出世だが、これには込み入った事情がある。 「当時、落語協会には真打ち昇進試験がありまして、抜擢で三木助さん(先代)が先に昇進してます。僕…
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こん平師匠に「うちの師匠は下ネタを嫌ったんだ。それを倅がやるとは何事か」と迫られた
1980年9月20日、先代林家三平が亡くなった。こぶ平はまだ前座である。 「父親と師匠、いっぺんに亡くしました。最後のテレビ収録で、新作の『源氏物語』をやったのですが、体力が弱ってますから、め…
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親父は「〇〇ちゃん」と呼ばれる芸名がいいと考え、「こぶ平」に
正蔵は中学2年の時に、古今亭志ん朝の落語に魅せられ、独演会に出かけた。 「トリで演じたのが、『花見の仇討』でした。素晴らしかったです。それで父(先代三平)に、志ん朝師匠に弟子入りしたいと言った…
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(3)落語家でなく昆虫学者になりたかった「セミの鳴き声の方が家の中よりうるさくない」
正蔵は子供の頃、落語家になろうと思っていたのだろうか。 「とんでもない。なるもんかと思ってました。昆虫学者になりたかったんです。セミの鳴き声の方が家の中よりうるさくない(笑)。虫かごを持って採…
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(2)先代・林家三平の思い出「お父さんはみんなの三平さんなんだ」
人気者だった先代林家三平は、ファンを大事にする人だった。子供と歩いていても、ファンに声をかけられるとサービスしてしまう。 「人気者だからしかたないと思いながらも、父を人に取られちゃうような気持…
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(1)来年は落語協会創立100周年、記念行事の実行委員長としてイベント企画を思案中
林家三平(先代)の長男として生まれ、祖父の名跡を襲名した9代目林家正蔵。「こぶちゃん」と呼ばれたこぶ平時代のイメージを持つ方も多いが、現在は落語協会副会長の重責にあり、寄席にも精力的に出演している。…