喜怒哀楽のサラリーマン時代
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森永卓郎さん<1> 20億円の小切手を紙袋で運び大目玉
1980年4月、東大を卒業して入社したのが日本専売公社(現、日本たばこ産業=JT)。半年の研修が終わった後に配属されたのが、主計課の資金係でした。当時、まだ公社だったので仕組みはほぼ役所と同じでした…
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ドン小西さん<4> 小手先の技術なんて役に立たない
「自分の思った通りにならない」「自分のことをわかってくれない」って文句を言う人は多いよね。それは「伝える力」が足りないってことだよ。そういうタイプはだいたい友達が少ない。うまく伝えられず、すぐに放り投…
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ドン小西さん<3> 売りにくい商品を売り、認めさせた
人の出入りが激しい会社だったから、僕は自分の存在を明確にすることに注力していたね。たとえ上司に嫌われてもクビを切られない存在になろうと思い、生産管理にいながら、頼まれてもいないサンプルを作り、「デザ…
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ドン小西さん<2>デザイン力を認めてもらう最短の方法とは
ブランドを立ち上げて採用面接をしていると、前職を辞めた理由に「やりたい仕事ができなかったから」と言う人が多いことに驚く。けど、そうじゃない。「いかにして自分のやりたい仕事に就くか考えるのが仕事」なん…
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ドン小西さん<1> 新人時代はどんくさいと思われ損ばかり
もうかれこれ44年も前。まだ文化服装学院の学生だった22歳のころから約7年、「GRASS」というアパレルメーカーでサラリーマンをしていたんだ。当時はファッションリーダーたちから絶大的な支持を得ていた…
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山本一力さん<5>松下電器のプレゼンで大チョンボ
松下の営業電話の話には、続きがあるんだ。秋葉原で集めたカタログを読み込んで、御成門にあった松下電器の会議室で課長と向き合った。“予習”の成果を話していたら、突然、「キミ、何しに来たんだ? ウチの製品…
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山本一力さん<4> 正面突破なら利害は対立しない
今から40年前でも、やっぱり学歴という壁はあってね。高卒のオレは、どんなに頑張っても、せいぜい営業所の所長どまり。学歴に対するコンプレックスはなかったんだけれども、先が見えたら、「もういいや」と思え…
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山本一力さん<3> 「いつも走ってろ」と怒鳴った先輩に感謝
高卒で就職したトランシーバーのメーカーで任された仕事は、ショックテストという品質管理でした。ところが、今ではロボットがやるような単純作業を朝から晩まで繰り返すのが嫌で嫌で。半年ほどで辞めて高卒の中途…
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山本一力さん<2> 帰りの切符が全く売れなかった敗因
1967年に入社した近ツリでは、先輩に恵まれて毎日が面白かったけど、もちろん失敗もあった。 日本で初めて修学旅行専用列車を手掛けたパイオニアで、東京から京都を結ぶ人気路線を中心に、春や秋の修…
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山本一力さん<1> 5泊6日クルーズを成功させた仰天プラン
サラリーマン時代の経験で一番印象に残っているのが、高卒の中途採用で入社した近畿日本ツーリストの10年間。入社4、5年目の22歳か23歳くらいのときかな、「サンシャインクルーズ」と名付けたクルーズ旅行…