保阪正康 日本史縦横無尽
-
わずか2カ月で倒れた皇族による東久邇内閣
太平洋戦争の敗戦時の首相・鈴木貫太郎の後任は東久邇宮稔彦王であった。近代日本の議会政治の上で皇族内閣が誕生したのは初めてのことであった。昭和天皇は敗戦という事態を混乱なしに乗り切るために前例を破って…
-
多くの機関で行われた植民地根性丸出しの「感謝決議」
占領者に対して媚びへつらうことと正義のための内部告発とは本来全く別ものである。しかし、その境目は極めて曖昧だ。「媚態は正義を装い、正義は自己利益を隠す」のである。こうした投書の多くは、かつての暴虐な…
-
一貫した情報収集 米国は3年前から東京裁判を調査していた
マッカーサー宛ての手紙を改めて確認しておくと、結果として日本は自らの力で民主主義体制をつくる力を持っていなかったというのが正解であろう。軍国主義下の世の中に不満を抱いたり、憤りを持つ人が大勢いたこと…
-
戦後初の総選挙で日本はそれまでの慣習と伝統を覆した
断っておかなければならないのは、マッカーサーに宛てた手紙の中に極めて深刻な内容があったことである。朝鮮からの引き揚げ者の消息が分からないものが多く、そのことを調べていただけないかといった悲痛な文面も…
-
マッカーサー「日本人の民主主義理解は12歳の子供と同じ」
マッカーサーに宛てた日本人の手紙は、合計で5万通に及んだという。それほど多くの人々が手紙を書き送ったのだ。 私はそれらの手紙を手にしながら複雑な気持ちであった。嘆願書や陳情の類い、あるいは建…
-
「マッカーサー様、あなたが日本の天皇になってください」
昭和20(1945)年の夏の暑い日、戦争は終わった。3年8カ月続いたこの戦争は、つまりは大日本帝国の解体という結果となった。アメリカ、イギリス、中国の指導者名によって示されたポツダム宣言を受諾するこ…
-
国民はテロとクーデターの持つ真の怖さを知らなかった
昭和史を俯瞰した時、昭和10年代は極めて異常である。その異常さは11年の2・26事件、12年の盧溝橋事件をきっかけとして太平洋戦争に至るその道筋にある。この2つの難局をもっと理性的、思索的な軍事指導…
-
新統制派は2・26事件を国民に知らしめ権力拡大をはかった
新統制派の軍人たちには青年将校の意識と2つの共通点があった。ひとつは無思想、もうひとつは天皇神格化である。特に事件後の陸軍内部で権力を握った寺内寿一、梅津美治郎、東條英機についてはこの2点が指摘でき…
-
東條英機ら新統制派は「青年将校の精神」を受け継いだ
明治建軍時の段階にまで及ばなければ2・26事件の本質はわからない。その理由は青年将校の心理そのものにある。彼らは天皇のために自分たちが決起したのであり、大御心と一体化していることを疑っていない。とこ…
-
磯部浅一の気持ちは「天皇への呪い」に変わっていった
2・26事件の青年将校を解剖するとき、磯部浅一の存在は特に重要だ。他の被告より1年間処刑が延期されたため事件の推移を見定めたことだけでなく、彼自身の考えが事件の主軸になっているといえるからだ。 …
-
2.26事件後の軍事指導部による政治掌握を予見した磯部浅一
2・26事件は2つの形をなぞったクーデター計画であった。1つは青年将校らによる実力行使、もう1つが軍事指導部による政治システムの乗っ取りである。このことを見抜いたのは、実は青年将校のリーダー役だった…
-
寺内寿一は天皇を恐懼することなく、首相官邸に乗り込んだ
2・26事件は、青年将校と彼らに引きずられた下士官、兵たちの謀反事件と言えるが、より詳細に見ていくと、この事件の背景にさまざまな思惑が絡んでいることがわかる。 例えば天皇の側近には2つのタイ…
-
天皇は2・26事件で軍部が増長することを予見していた
2・26事件が終わってからも、天皇は一人で自らの判断を含めて誤謬がなかったかを確認していた節がある。さらにこの事件を利用して軍事が政治に圧力をかけるのを警戒していた。 3月2日のことである。…
-
天皇は「なぜ事件を事前に予測できなかったか」と詰問した
昭和11年2月29日、事件が起きてから4日目である。この日の朝から、反乱軍の下士官と兵士たちに向けてビラが撒かれた。「兵に告ぐ」のビラである。戒厳司令部も午前9時に発表を行い、永田町付近を占拠する一…
-
青年将校の自決に天皇は「自殺するなら勝手に為すべし」
昭和天皇が激怒した理由を考えるとき、同時代の枠組みだけではわからないことがある。いくつかの理由を紹介してきたが、改めて想定できる理由を考えてみたい。 2・26事件の4年前の5・15事件のとき…
-
「真綿にて朕が首を締むるに等しき行為なり」と天皇は怒り
昭和天皇は、このクーデター計画が実行された時から一貫して、怒りの表情を見せていた。天皇以外は一兵たりとも動かすことはできない。にもかかわらず青年将校たちは、勝手に兵を動かしている。加えて彼らは、天皇…
-
東條英機、梅津美治郎は「断固討伐せよ」と電報を打った
青年将校の指揮のもと、1500人の決起部隊は東京・永田町一帯を占拠したが、特に陸軍大臣官邸を中心にして青年将校の指導部は、昭和維新を成し遂げ、維新政府を樹立するのを目的にしていた。この指導部は磯部浅…
-
天皇の周辺にいる「君側の奸」を排除するのが我らの使命
2.26事件は昭和11年2月26日に起こった。20人を超す青年将校に指揮された1500人ほどの下士官、兵士が首相官邸、斎藤実内大臣私邸、渡辺錠太郎教育総監私邸、鈴木貫太郎侍従長公邸など7カ所を襲って…
-
皇道派青年将校による永田鉄山軍務局長惨殺事件の真相
5.15事件から2.26事件までの4年近くの間に、テロやクーデターに類する動きはいくつかあった。右翼陣営のみならず、左翼陣営にも資金獲得のために銀行を襲撃する動きがあった。この4年間は、いわば次の時…
-
親軍派は軍事ファッショに反対の政治家を追い落とす行動に
日本社会の基軸は5.15事件以後、大きく変わった。軍に逆らうことができなくなったのである。世の中を変えてくれるのは軍だと考える庶民が増えた。軍人たちは直接行動で犯罪を行ったにもかかわらず、その刑が民…