保阪正康 日本史縦横無尽
-
「中野正剛は資金を受け取っている」とウソを報告した
中野正剛の自決について、「真相箱」が説明していない事実(私の調べた範囲だが)をさらに記述する。ほとんど明かされていない事実である。 大正末期、中野の満州視察を尾行していた当時の憲兵隊員の報告…
-
憲兵隊は中野正剛をソ連のスパイだと信じ込まされていた
中野正剛の自殺に納得できない東方同志会の会員や中野に私淑していた門弟、あるいは東條の異様な弾圧を受けた民間人は、戦後に相応の仕返しを行った。そのことは密かに語り伝えられている。戦前、戦時下の弾圧が激…
-
東方同志会の会員は中野を取り調べた元憲兵を土下座させた
中野正剛の自決に関して、「真相箱」は東方同志会の会員が東條暗殺を考えたことをその一因と挙げているが、これについては確たる事実がない。東條の側は暗殺計画があるとでっち上げるのが常套手段だった。それによ…
-
東方同志会の中野正剛 なぜ突然の割腹自殺を遂げたのか?
国民に知らされていない事実について、「真相箱」は丁寧に説明する。例えば戦時議会で独自の言論活動を続けていた東方同志会の中野正剛は、戦時下に突然自殺を図り、国民を驚かせた。なぜ彼は自決したのか。国民に…
-
昭和10年ごろから学校教育に軍事が介入するようになった
日本占領という現実を前にして、アメリカはこの国をどのような国家にしていこうかと考えたが、実はすでに1943年ごろからアメリカ国務省、あるいは軍事責任者たちはこの問題の研究を始めていた。そのことは各種…
-
征服者の夢に駆り立てられた責任は「日本人自身」にある
昭和17年6月のミッドウェー海戦などを取り上げて、事実の隠蔽を指摘する。 この海戦では航空母艦4隻が沈められたにもかかわらず、事実は知らされなかった。その後も多くの戦線において敗れ、海軍の戦…
-
日本は戦時指導者の無能によって戦争に負けたとするも…
日本が今次の戦争において敗れたことについては、「日本は上級司令部の失敗で敗れました」とし、 「日本がアメリカに不意打ちを加えれば、アメリカは武装して応戦するいとまもなく敗れるであろうとの予想の…
-
GHQは軍国日本とそれに騙された庶民という二元論を試みた
GHQは日本人に対して、2つの指導方針を持っていた。ひとつは庶民は善良で真面目、与えられた場で懸命に働くと褒めるのである。半面のもうひとつは、そういう庶民を欺いた指導者の責任を問うのである。つまり「…
-
天皇はマッカーサーに「国民の望みに逆らう天皇はいないでしょう」と語った
匿名の日本海軍の将官は、本当は日本は戦争を止めることができた。しかしそのような人物は存在しなかった、と証言する。その上で「真相箱」のナレーションは、 「陸海軍は政治に関与してはならぬ、政治と軍…
-
山本五十六は戦争に反対も海軍省は開戦の側に立っていた
東條英機元首相は、昭和19年7月にサイパンが陥落して退陣したが、その内幕は国民には知らされていなかった。そこで「東條政権の崩壊について真相を教えてください」という質問が意味を持ってくる。 答…
-
GHQは関東軍の暴力的支配を説き「東條英機は国民の敵」と
この答えは、まずジョン・ガンサー(アメリカの著名なジャーナリスト)の発言を最初に説明する。それは「日本を支配していたのは軍部ではあるが、その中の関東軍が支配していたと言っていい」との意見である。その…
-
伊藤博文の改革は朝鮮人に歓迎されず数多くの人命が犠牲に
「真相箱」では、伊藤博文の統監としての施策について、次のように書かれていた。 「伊藤公の提議した諸改革なるものは、一見頗る独創的なるものと思われる。しかしながらそれは、ある程度強権を以て実行せら…
-
時に声色を真似て東條英機を演じた声優に脅迫状が殺到した
「真相はこうだ」は昭和21年2月10日までの10週間にわたって、週1回の放送であった。この放送は、あえて少年を聴取者代表に加えて分かりやすい質問をさせ、それに答えるという形をとっている。時には声優が東…
-
GHQは戦争の真実を伝える連載記事とラジオ放送を開始した
太平洋戦争の終結から74年が過ぎた。戦争体験者、なかんずく戦場体験者が極端に少なくなっているが故に、戦場の恐怖や飢え、その残酷さが次第に伝わらなくなっている。 むろん戦争は語り継がれなければ…
-
共産党は昭和天皇を筆頭に1571人の戦犯名簿を発表した
戦後のGHQによる民主化政策の初期は、市民的自由を認めることで旧体制を打破する点に主眼が置かれた。その結果どうなったか。共産党勢力は日本社会のあらゆる封建勢力を駆逐する主人公として扱われることになっ…
-
巣鴨プリズンから勝手に帰宅する戦犯者もいた
もしこの戦争責任者裁判が、日本側の手で行われていたらどうなっていたであろうか。私の予想では、戦勝国の手前、相当派手に弾劾が続いたと思われるのである。しかし、アメリカなどの目の届かないところでは、かな…
-
敗戦50年後に発見された戦争責任者裁判に関する緊急勅令案
下村定陸軍大臣は謝罪答弁の中で「陸軍の過去における欠点のために」と言った上で、「幾多戦没の英霊に対して深きご同情を賜わらんことを、この際切にお願い致します」と答えた。下村自身が残したこの答弁に関する…
-
「なぜ軍国主義になったのか?」斎藤隆夫の質問に陸相は…
この勅令法案が日の目を見なかったのは、主に2つの理由によると思われる。第一の理由は天皇が渋ったこと。具体的には「昨日までの臣下の者を裁くのは忍びない」と応じなかったためだ。第二はマッカーサーをはじめ…
-
吉田茂らの怒りがにじんだ緊急勅令案
日本側で、独自に戦争責任者を裁くという「戦争責任者裁判ニ関スル緊急勅令案」は、その前文で「民心を安定し国家秩序維持に必要なる国民道義を自主的に確立することを目的とする緊急勅令」(原文はカタカナだが、…
-
天皇の「難局を乗り切って欲しい」に応じた幣原喜重郎
東久邇内閣に代わって登場したのが、幣原喜重郎内閣であった。天皇は幣原に、この難局を乗り切って欲しいと命じ、幣原は当初は固辞していたが、結局は受け入れることになった。10月9日のことである。 …