海の教場
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<58>桃ちゃんのお嫁さんになります
前夜祭が終わり、講堂は空っぽになった。 桃地と彩子、二人きりだ。 彩子がロビーの出入口から空に手をかざす。 「雨。やんだね」 三日月と北極星が見えた。絵本から飛び出した…
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<57>高浜彩子飛行士!結婚してください!
講堂は、桃地をかばう声援で溢れていた。桃地は厳しく首を横に振り、学生に呼びかける。 「死者に対する罪悪感。お前たちだってずっと持っているじゃないか……!」 自殺した臼井湊。 学…
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<56>暴風が波を巻き上げ、海面は灰色
当真航希という若き殉職者の話を前に、海上保安官の卵たちは静まり返る。 「平成十二年七月、東北沖の台風の影響で海は荒れていた。貨物船と漁船が衝突したと一報が入り、当真が乗る巡視船ざおうに緊急出港…
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<55>内示が出た夜、着任地を代わってくれと
私の主張を繰り広げる講堂の舞台で、桃地は学生時代を語る。 「俺と当真航希は同じクラスで大親友だった。明るい沖縄人だった当真は学校の中でも目立つ存在で、ちんちくりんで凡人の俺と違う。男子学生の憧…
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<54>主計3組担当教官、桃地政念。私の主張!
桃地は舞台へと続く階段を上がる。一歩が重く、一歩が長い。 なんの装飾もされていない舞台の中央に立つ。スポットライトが当たった途端、六百人の聴衆がぼやけた。 桃地は足を肩幅に広げて腕を…
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<53>女子学生たちが親衛隊のように鐵を囲む
桃地はプロポーズ相手の殺気をひしひしと感じた。後ろに座る比内校長に泣き言を言う。 「緊張で口から心臓が出そうですよ……」 比内はへらへら笑うばかりだ。その隣に座る、五森Tシャツを着た見…
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<52>鬼瓦みたいな表情の彩子と目が合う
十八時半、雨脚が強くなってきた。 桃地は落ち着かない気持ちで、講堂入口のホールに立っていた。中から和太鼓の音が聞こえてくる。 女子学生が中心の和太鼓班が『水軍』という曲を演奏している…
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<51>五森祭で仕込む千人分のカツカレー
五森祭が始まった。 梅雨真っただ中の七月初旬、雲の切れ間に青空が見える。雨は夕方からという予報だった。 桃地ら主計科教官や学生たちが担当する『五森レストラン』の料理の仕込みは早朝から…
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<50>入籍と妊娠報告で頭を下げて回る
桃地は仰天している鐵を置いて、ゴミ箱片手に仏壇の前に立つ。花、お守り、お札──臼井のために飾られたものを、どんどんゴミ箱に突っ込んでいく。 「やめてください!」 鐵が慌てて桃地の腕を引…
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<49>エプロン姿でも女性海上保安官然
卵巻きを焼く鐵の後ろ姿は、エプロン姿であっても、女性海上保安官然としている。 「子育てを終えて再任用されたとしても、所詮、女性海上保安官はパートのおばちゃんみたいな補佐的な役割で終わりでしょう…
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<48>初ボーナスは父親の新車の頭金にと…
鐵が葬儀で臼井の両親からなにを言われたか──桃地は詳細を聞けなかった。 「写真に写っている車、福井県警に入って初めてのボーナスを頭金にして買った、臼井君の愛車だそうです」 いまは父親が…
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<47>情けない。未婚で妊娠なんて
「妊娠四か月なんです」 鐵と二人、与保呂川沿いの遊歩道を歩く。春先には美しい桜並木を見せる与保呂川は、東舞鶴地区をまっすぐ貫いて海に注ぐ。 「早く堕ろさないといけないんですが──」 …
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<46>彩子の手を握り、切り出すが…
桃地は病院の床に転んだ彩子に、慌てて駆け寄る。彩子はひねった足を痛そうに押さえているが、「救助に行かなきゃ。ヘリが来ている」と繰り返し、自力で立とうとする。 桃地は彩子の肩を抱きながら、言い…
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<45>彩子が黄色の目で桃地を見つめる
彩子のお見舞いにいくため、桃地は学校を早めに出ることにした。古時計の錘が下がっていたので、扉を開けてハンドルを回す。 桃地をドナーにする生体肝移植すら拒む彩子の言い分を思い出す。 「ド…
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<44>今更と思うんだ。もう二十年も──
桃地は五森祭実行委員の山科海花を連れて、学生課を訪ねた。 「鐵教官!」 五森祭の『私の主張』で教官が恋人に公開プロポーズするなど、学生の手本であるべき教官が云々──といつもの建前で山科…
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<43>彩子に告白した当真は方々から袋叩きに
山科学生は五森祭の出し物について相談があるという。 「主計コースの担当は五森レストランだが」 毎年、五森祭には海上保安庁関係者の他、学生家族、地域住民、海保ファンが多数来場し、マスコ…
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<42>遺影と菊の花で立派に仏壇ふう
鐵教官が溺れた望月を病院へ連れて行った。怪我もなく、体に不調も見つからなかった。医学的に溺水理由は説明できないようだ。 望月も「どうして溺れたのかわからない」と繰り返す。 夜、桃地は…
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<41>なにかが足を引っ張ったとか…
男子学生がプールサイドで四つん這いになって水を吐いている。その周囲に、人だかりができていた。 訓練部の教官たちが溺れた学生を毛布で包む。酸素缶も吸わせた。 桃地は、涙や鼻水を流しなが…
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<40>椅子も供養の花も撤去する
臼井の机や椅子を供養の花ごと撤去する──。 学生たちはざわめくどころか、潮が引くように黙り込んでしまった。 桃地は一旦学生たちを座らせ、改めて投げかけた。 「臼井の自殺からもう…
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<39>書架の奥で女子学生が尻もち
第三章 死んだ者たちへ 舞鶴市は「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど雨が多い。六月に入り、梅雨らしいじめじめした毎日が続く。 桃地は授業を終え、主計教官室に戻っていた。図書室の前を…