「シビリアンコントロール」の模範ともいえる及川古志郎海相の答え
近衛首相はこの日(昭和16年10月12日)に和戦の決着をつけると覚悟を定めていた。そのことは対米交渉での一定の範囲での譲歩を主要閣僚と固めることでもあった。さらに詳しく言えば、東條陸相の主戦論をひとまずなだめるという意味にもなった。
その前日に近衛内閣の書記官長である富…
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