46人中トップ10は1人 日本男子ツアーの“地盤沈下”が明白に
「日本にツアー制度が発足した1973年前後は国内に試合が少なく、オフになるとアジアサーキットと呼ばれた東南アジア各国のナショナルオープンに有力選手が挑戦した。不慣れなコース設定に戸惑いながらも腕を磨いて強くなっていった。その後、尾崎将司や青木功らの活躍で国内試合数が増えて賞金額が充実すると、日本人選手はアジアの大会に目を向けなくなった。一方で、アジアンツアーは欧州ツアーとの共催大会を増やして、コース設定を世界基準にしてレベルを上げていったわけです。日本人選手はわざわざ海外まで出かけなくても、国内で十分に稼げるため技術も劣り、どんどん世界から取り残されていったというのが実情です」
共催大会の成績を見れば、日本ツアーがグローバル化に取り残された実態がよくわかる。