1991年に東京で開かれた世界選手権も暑く、中山竹通は途中棄権して叩かれた。当時の世界選手権は正式には五輪の選考対象でなく、優勝した谷口浩美さえ「別にうれしくなかった」と振り返っている。中山は翌92年のバルセロナ五輪の選考レースを見据えて“美学”を捨て、その後の選考会を経てバルセロナで4位に入った。
スポーツもオリンピックも普及し変化している。マラソンのゴールは人それぞれで、完走か棄権かは世論調査のごとく「どちらとも言えない」だろう。ただ、テレビも新聞もネットも、変化を否定するように、ひたすら完走の美学を称え、ドラマを叫び続けるのはウンザリだ。