<60>杉浦日向子さんは最後に一緒に飲もうってワインを用意してくれてたのに…
杉浦日向子さんと、『東京観音』の連載で東京の街を歩いたんだよ。江戸の粋にくわしくて、彼女が観音さまだったね。(文筆家・杉浦日向子は漫画家としてデビュー、一貫して江戸風俗を題材にした作品を描いた。2005年7月、下咽頭がんのため46歳で永眠。PR誌『ちくま』に1995―96年に連載)。この写真は(台東区)吉原大門の天ぷら屋「土手の伊勢屋」の前で撮ったんだよ。子どもの頃、お祭りの“お通りさま”のときには、いつも親父が連れてってくれたんだ、天丼。エビがでっかくてさ、ウチのご馳走がここの天丼だったの。
「観音さまをさがして、日向子さんとの道行き。楽しかったなー。東京っていうのは、非日常の空間がいっぱいある。皇居とか空地とか、夜になると真っ黒な穴になるところ。そんなのが、東京のどまんなかとか、ちょっとその横丁を曲がったとことかに、平気であるんだよ。観音さまもそうだったねー。単なる現世を超えた異世界とかが、歩いてると突如ポーン、っポーン、ってそこにあるんだよ。そこを猫が一瞬通りすぎたり、日向子さんが横切ったりするだけで、余計にその場所が異空間、あの世になる。不思議だねえ。気分としては、観音さまを探し歩いたとゆーより、彼女に先導されつつ、観音さまに連れられて歩いた東京。」(共著『東京観音』〔1998年刊〕より)。
彼女の思いを受けてあげられなかったんだ
最後に彼女を撮ったのは、(下咽頭)がんの手術を受けて家に帰っていたときなんだよ。真夏のような日でね(2004年10月)。別れるときに、彼女の思いを受けられなかったね、受けてあげられなかったんだ。彼女が原稿を書いている寝室で、ライカで白バックで午後4時の光の中で撮ったんだよ。なんとか生き生き撮ろうと思ったけど、死相がどうしても…、それを出さないようにと思ったけど、どうしてもね……。
■彼女のお母さんが「もっと強く抱きなさい」と
彼女、撮影が終わったらオレと乾杯したいって、旅行で買ってきたワインをとってあるって言ってね。ヴェネチアのムラーノ島で買ってきたグラスで、オレと一緒に飲みたいって。でも、今度来たときに、今度の入院から出たときに飲もうって、また会えるからねって別れたんだよ。彼女のお母さんがオレに言ったの。別れるときに、「もっと強く抱きなさい」ってね。それが最後になってしまったんだよ。彼女は、最後に会うから、最後に一緒に飲もうって用意してくれてて、そんなに想ってくれてたのに…。最後になぁ、強く抱きしめることできなかったんだよね……。悲しい別れだったなぁ……。彼女の写真を見ると、そのことを思い出すんだよね……。
(構成=内田真由美)