茶店のママが「イマジンよ、ジョン・レノンが泣いてるわ」とたばこをふかした
先日、たまには外に出て本でも読もうと久しぶりに駅前通りの古い喫茶店に自転車で出かけた。いわゆる「茶店」というやつだ。都市という都市が外資系の大手チェーン店に占有され、街の風情も乱されてしまって久しいが、その茶店だけはまだ健在で良かった。
昔から原稿書きは純喫茶と決めていたし、コーヒーを一口飲むたびに一行思いつき、200字詰めにペンを走らせた。映画エッセーも時事評も何千回とつづってきたが、喫茶店は日々の思索を大いにさせてくれる場だ。粋な店だと「アイリッシュコーヒー有ります」と壁に貼っていた。そんな「喫茶店文化」が消えかけている。駅ごとに一店あるとも言い難い。駅を降りて探しても見当たらない時はその街から去りたくなる。
原稿箋からノートパソコンに替えたために、自分で編む文体の不甲斐なさにいつもめいるように、もの書きに「茶店の消滅」は我慢ならない。大手チェーン店の中じゃ何もする気がしない。10年前に入った時も、10分も耐えられなかった。誰か、茶店らしい茶店を開店してくれないかな。きっと毎朝行く人がいると思う。薄切りのトーストらしくよく焼けたトーストをハムサンドにしてもらい、ゆで卵とミニサラダも付けてもらえばもう幸せだ。そんな朝を迎えたい。そして、昼下がりにもう一度行き、見た映画を思い出し、「あんないじけた話がなんでゴールデングローブ賞なんだ」といじけた原稿など書かなくてもいいような、そんな午後であってほしい。