対露防備どころではない 混乱期に乗じたロシアの千島列島要求
![引き揚げられたロシア軍艦ディアナ号のイカリ。ディアナ号は、安政元(1854)年、日露和親条約締結交渉のためプチャーチン提督の乗艦として下田を訪れたが、安政東海地震による津波のために大破。修理のため回航中に沈没した(1976年8月3日、静岡県・田子の浦港)/(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/304/602/888b2aa314a75fb2453f7dbb6af6d15f20220428133213028_262_262.jpg)
ロシアが樺太と千島列島の両方に関心を持っていることが、安政に入ると次第に明らかになってきた。そこで幕府は蝦夷地の防備に次々と手を打っていった。安政2(1855)年には津軽、南部、仙台、秋田の4つの藩に、そして安政6(1859)年には会津と庄内の各藩に蝦夷地を分割して警備にあたら…
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