坂本冬美さんと「岸壁の母」…二葉百合子さんは命の恩人
「私の人生を変えた一曲は、やはり『岸壁の母』になりますね。一度、歌手活動を休業しましたが、二葉百合子先生の曲を聴いて復帰することを決意しましたので……」
「あばれ太鼓」でデビューし、「夜桜お七」「また君に恋してる」など数々のヒット曲がある坂本冬美さんは開口一番、こう語りだした。
歌手生活の最大のピンチは、一切の活動を休止すると発表した2002年春。ちょうど15周年を迎えていた。理由はその5年前に最愛の父親が突然、事故で亡くなり、体調不良に陥ったことなどだった。
この時、さまざまな臆測が流れたが、自宅もすべて処分して向かった先は母親がいる故郷、和歌山県の実家だった。ここでデビューから走り続けた時間を振り返り、見失っていた自分を取り戻そうとした。そんな時の出合いだった。二葉百合子の「岸壁の母」。
「テレビで二葉先生の65周年コンサートの模様をやっていて、それをたまたま見ていた母が『二葉百合子さんが歌っているよ』と教えてくれたんです。休業中、私はテレビを一切見ていなかったのですが、その時はハッとして、先生の『岸壁の母』にくぎ付けになりました。それがキッカケで先生に手紙を書き、ご自宅にうかがい、弟子入りすることになりました」
記憶に残る「岸壁の母」は小学校5年生のお誕生日会が最初だという。子供の頃から演歌好きで、当時、はやっていたこの曲を「ミニお芝居にした」。
「私が母親の端野いせさんを、友達が息子の新二さんを演じました。内容をよく理解していなくて、息子が戦地から戻って来て、いせさんと再会を果たし、母子が抱き合って終わるという、歌とは異なる内容だったんですけど(笑い)」
出会いはデビュー後の音楽番組。楽屋で挨拶した。その時の様子を二葉に聞く機会があった。
「私は新人なのに、先生の前の椅子に座って同じ目線で挨拶したとおっしゃるんです。それが印象深くて私のことをよく覚えていたと」
■「あなたも歌の壁にぶつかったのね」と
冬美さんにとって二葉の第一印象は「いつも熱唱している姿を見ていたので、強いお母さん、怖い先生かなと思っていました。でも、頑張ってねとやさしく声をかけてくださって、思い描いていたイメージとは違いました」。
そんな経緯もあって、冬美さんが「もし、ご連絡いただけるなら」と電話番号を添えた手紙を書くことができた。そして、すぐ電話がかかってきて「二葉です。すぐいらっしゃい」と声をかけてもらった。
数日後、東京にいる二葉を訪ねた。第一声は「あなたも『歌の壁』にぶつかったのね」だった。「先生もですか」と聞き返した。
「何度も壁にぶつかっては乗り越えてきたのよ。その壁に気づくことは成長した証しなの。気がつかない人もいるんだから」とアドバイスしてくれた。
その場で「浪曲の発声だけど、声を出してみましょう」と言われ、二葉に続いて何カ月ぶりかで大きな声を出した。
「必死でした。歌いながら、よく漫画で殴られて星が出るような、クラクラする衝撃を受けたのを覚えています」