「CHA-CHA-CHA」の石井明美さん 山口百恵の名曲歌いプロに
「いい日旅立ち」山口百恵
私、もともと歌手ではなく、美容師になりたかったんです。千葉・館山の高校に通いながら通信教育で学び、インターンを始められる資格を得ていました。それで、高校卒業後、老舗サロンの「大関早苗美容室」でインターンとして働かせていただくことになったの。
都内の父方の祖母の家に居候しながら、東京・銀座のショッピングセンター「西銀座デパート」地下1階の店舗で働き始めました。一人前の美容師になる夢に向かって着々と進んで……いたはずなんですけど、思い描いていた美容師と違うなと思って、1年ぐらいで辞めてしまいました。「大関早苗美容室」は大きな美容院だったので、シャンプーとかカットとかカラーリングとか分業体制。私は1人で全部やりたかったんです。
もっと小さな美容院でインターンをやろうと探している間、友人がオーナーを務めていた六本木のカラオケスナックでアルバイトを始めました。20人ぐらいのキャパのお店ですが、そこで、お客さんから山口百恵さんの「いい日旅立ち」を歌ってほしいと頼まれて歌ったんです。思えば、これが人生の転機だったんですね。
そのカラオケスナックには音楽関係者がよく来ていましたが、そのとき、たまたま前の事務所の会長と作家の都志見隆先生(中西保志の「最後の雨」の作曲など)、それに音楽出版社「日音」の方がいらっしゃっていたの。それで「いい日旅立ち」を聞いて、私の声を気に入ってくれたみたいで、「歌手にならないか」とスカウトされたんです。
■「芸能界に興味はありませ~ん」と逃げていたんですが…
でも、お酒の席ですからね。冗談半分だと思ったし、スカウトなんてちょっと怖いじゃないですか。「ありがとうございま~す、でも芸能界には興味はございません~」なんて笑ってかわしていました。ところが、会長さんたちはその後もちょこちょこ店に通ってくれて、「どう、そろそろやる気になった?」なんて言ってくださったんですよね。作家さんは私の「いい日旅立ち」を聴くと、「風景が見える」と言ってくださいました。あ、そんなふうに聴いてくださっているんだな、ってうれしく思いました。
私も1番より2番が、館山を思い出させる歌詞で、感情移入しやすく、情景を思い浮かべながら歌っていました。歌はそこそこうまいかなという程度だったと思います。母が若い頃、バスガイドをしていたから、母の血を引いているのかもしれません。
会長さんたちは、私が生活費を稼ぐために真面目に働いているというのも気に入ってくれたそうです。バブルの時期だったので、周りはブランドものが欲しいとか、海外旅行に行きたいというチャラチャラした女の子が多かったので。