これで演じ納め…一世一代の「霊験亀山鉾」で示す片岡仁左衛門の美学
歌舞伎座は2月も3部制。どれかひとつなら、第3部「霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)」だろう。片岡仁左衛門の一世一代、つまり、この演目は演じ納めとなる。
鶴屋南北の作品だが、上演頻度は高くない。戦後は今回が5回目で、そのうち4回が仁左衛門主演だった。その当たり役のひとつが、これで最後となるのは残念だが、みっともないものは見せたくないという、仁左衛門なりの美学なのだから、仕方ない。
仁左衛門は冷酷な悪人と、その悪人によく似たという設定の小悪人という、種類の異なる「悪」を演じ分けている。小悪人で見せる、愛嬌というか軽妙さも、この役者の持ち味だが、やはり天下一品なのが、どこまでも冷酷で憎らしい、大悪人の役だ。
それは「悪の魅力」というものでもない。この芝居での主人公は事情があって悪に手を染めるタイプではなく、最初から徹底した悪人なので、観客としては、感情移入できる対象ではないし、まして憧れもしない。そういうタイプの「悪」ではない。いいところのまったくないキャラクターなのだ。その点が、この芝居があまり上演されない理由かもしれない。
そんな悪人なのに、仁左衛門だと、その「悪」を「美」にしてしまう。今後、この役を演じてさまになる役者がいるだろうか。その意味でも、今回見ておいたほうがいい。