木村拓哉に迫る「マッチの激怒爆弾」SMAPスピードデビューの舞台裏を知り尽くした兄貴分
「木村は近藤とジャニーズ事務所の関係がこじれればこじれる程、自分にも飛び火しかねないと考えているのでしょう。近藤を事務所の功労者として可愛がっていたメリー喜多川名誉会長が亡くなった今、彼が義理立てする人物は存在しません。40数年も事務所の実態を間近で見てきた近藤の存在は、ジャニーズにとっても脅威です」(前出・芸能プロ関係者)
■妻の工藤静香と共にマッチの40周年パーティーに参加
その近藤が2020年に自宅で行った"アーティスト・デビュー40周年"プライベート・パーティーに木村は夫人の工藤静香(53)同伴で参加した。公私ともに深い関係にあることは周知の事実だ。さらに木村に目が向けられる理由の一つはデビューまでのプロセスにある。
公表されている資料によれば、1987年11月に入所した木村は、十分な育成期間もないままに「スケートボーイズ」というグループのメンバーに、ジャニー喜多川氏の強い"推し"で指名された。そして入所からわずか5カ月という異例のスピードで「SMAP」が結成され、その3年半後にアーティスト・デビューした。この早すぎるプロセスの不自然さを、いわゆる"辞めジャニ"たちは指摘してきた。木村は"役者"としてもアーティスト・デビューの翌年、「あすなろ白書」「若者のすべて」(共にフジテレビ系)という話題作に、ジャニー氏の肝煎りでキャスティングされている。