追悼・谷村新司さん…「アリス」誕生、デビューの原点は1970年の大阪万博だった
趣味はビニ本集め
「ヤンタン」の愛称で親しまれているMBSラジオのDJ時代はこんなエピソードが。
「深夜ラジオだけに、聴いている人はそんなにいないだろうと、冗談で(大阪の)中之島公園に集まってと呼び掛けたら、リスナーであふれかえり、警察が出動する事態に。アリスが売れる前の話ですからね。車で聴いている人にクラクションを鳴らすよう呼びかけ、大阪の街にクラクションが響き渡ったとか。警察からは大目玉で、しょっちゅうディレクターが始末書を書いていたそうです」
いまほど規制も厳しくなかった時代、谷村さんはそうやって自由に行動し、発想し、創造の羽を広げていったのだろう。
「そういえば、文化放送の『青春キャンパス』も、ばんばひろふみさんと下ネタ、バカネタのオンパレードでしたね。ビニ本集めが趣味と公言したりしていました。大笑いしながら、受験戦争や出世争いで大変な学生やサラリーマンは慰められたのではないでしょうか」
とはいえ、「アリス」では長い下積みも経験した。
■「遠くで汽笛を聞きながら」の汽笛は…
「しゃべりは面白いし、楽曲も演奏も素晴らしく、評価されていたのに、なぜかレコードは売れなかった。それで、とにかく全国の人たちに自分たちの曲を聴いてもらおうと、年間300本以上のステージをこなしたんですね。そんな日々の中から生まれたのが、谷村さん作詞、堀内孝雄さん作曲の『遠くで汽笛を聞きながら』。青森へライブに行ったとき、遠くで汽笛が聞こえたのだそうです。『それが青函連絡船の汽笛でね』とご本人から伺ったことがあります。♪悩み続けた日々が~の歌い出しは、まさに当時のアリスの状況そのもの。何もいいことがなかったけど、ここでやめたらすべて終わってしまう。だから諦めず、音楽の世界に踏みとどまろうという決意を歌った曲だと聞いて、胸が熱くなったものです。遠くの汽笛を、再出発の合図と聞いていたんですね」
その後、「チャンピオン」などのヒット曲を連発させるが、谷村さんは「アリスに欠かせない曲」として、この歌をステージで歌い続けたのだそうだ。
大御所になり、数々の肩書を持っても、親しみやすく、際どいジョークで相手を和ませた。遠くに響いたあのときの汽笛が、天国への旅立ちの際も聞こえていたのかも知れない。