嶋大輔さん「還暦は真っ赤な特攻服で歌った。70歳になったらまた特攻服にリーゼントで歌いたい」
ジェラシーを感じて電話した中野英雄に呼び出され
銀蝿一家は本当に体育会系。リーゼントでジャージーを着て、渋谷駅近くの桜丘を何周もマラソンさせられましたからね(笑)。まず体力をつけなきゃダメだって言われて。まるでしごきでした。
だいたい、僕はハナから芸能界に入る気なんてなかったし、俺はこんなことをするためにこの事務所に入ったんじゃないって思ってた。不良少年がいきなり大人の世界に入って右も左もわからずに、文句言いながらやっている感じです。でも、目上の人に対しての言葉遣いとか、スタッフとの関わり方なんかも口酸っぱく指導されて、僕にとってはいい経験になりました。
仕事に欲が出てきたのは横浜銀蝿さん解散後です。芝居がしたいと初めて思うようになった。ドラマデビューもしたから、役者になりたいと思ったんでしょうね。嵐さん(故・嵐ヨシユキ氏)にリーゼントをやめて芝居がしたい、事務所を辞めたいと、怒られるのを覚悟で打ち明けました。そうしたら、「それがおまえの選んだ道だったら行け。その代わり、二度と戻ってくんな」って言われ、事務所を辞めました。
その後、違う事務所で役者を続けましたが、13年に芸能界を辞めて政治の世界に行こうとしたんです。そこが僕にとっての人生の次の分岐点。でも、事情があって政界入りは中止。
その後、半年ほどは何もしなかった。やましいことをして引退したわけではないのに、人の目が気になって痛い。なんでジロジロ見られるんだろうと思うと、怖くなって引きこもっちゃった。
そんな僕を見かねた友だちが「一緒にサラリーマンの営業やろうよ、今後の大ちゃんにとっても、いい経験になるから」と声をかけてくれた。生活のこともあったので、ネクタイ締めてサラリーマンの営業を始めました。最初は営業先の会社の人が僕に気づいて、びっくりしていましたけど、おかげさまでそれで決まった仕事もあって、勉強になりました。
そして、また転機が訪れます。たまたま大好きなテレビゲーム「龍が如く」の新シリーズを買いに行ったら、パッケージに親友の中野英雄が写っていて、ゲームに出演していた。心底ジェラシーが湧いて、引退する時も連絡しなかった中野に、すぐ電話しました。すると出ていきなり「電話おせえんだよ、おまえ」って新宿のホテルに呼び出されました(笑)。
中野とはデビュー前から友だちだったので、その2年半のブランクはすぐ取り戻すことができ、「とりあえず俺の事務所にこいよ」と中野の事務所に入れてもらい、芸能界に復帰しました。彼の息子の仲野太賀が「今日から俺は!!」に出ていたから、太賀に「俺が抱っこしたの覚えてるか」って言ったら、あいつ「覚えてます」って、嘘つきやがって(笑)。
今までもこれからもそうですが、「男の勲章」は恩人ならぬ「恩曲」です。あの曲がなければ今の僕はないですし、これだけ歌い継がれてる楽曲を歌っていけるのは、ものすごく幸せだなって思っています。