吉田裕はホントに「芝居バカ」 アドリブから生まれた“乳首ドリル”は実は努力の賜物
吉本新喜劇の座長のひとり吉田裕くんは、友近らと同じNSC大阪23期生。当時は「漫才コース」とは別に「新喜劇コース」がありましたが、吉田くんは友人と共に「漫才コース」へ入学。卒業後、何度かの結成・解散を経て「第1個目 金の卵オーディション」(2005年)に合格して新喜劇の座員になりました。
新喜劇の脚本は2000年までしか書いていないので、つぶさに吉田くんの成長を見てはいませんが、たまに会った時も、まっすぐに目を見て元気に挨拶をしてくれて、いつ会っても新人の頃のまま。
最初はチョイ役が続きましたが、その役に対する取り組み方、熱量は群を抜いていて、おのずと役柄も変わり、セリフ量も増えていきました。そして5年目ごろに本番中のアドリブから、みなさんもご存じの「乳首ドリル」が生まれました。形は違えど、島木譲二さんの「大阪名物パチパチパンチ」譲りの体を張ったギャグは芸人の間で広まり、「むちゃくちゃおもろいヤツがおる」と先輩芸人たちが番組に推薦してくれ、バラエティー番組の出演をきっかけに一気に全国区になりました。きっと彼の熱意が先輩たちにも伝わったのでしょう。