蒼国来は第一印象では目に留まらなかった 体育館でたったひとり相撲指導を受けた
これは後日談ですが、この時、蒼国来は股割りがちゃんとできたのに、いざ来日して稽古をさせてみるとできない。
「おまえ、あの時はできただろう」
と聞くと、「あの時はもう死に物狂いでしたから」と苦笑い。とにかく私にアピールすることに必死だったようです。
一応、日本の相撲自体はテレビなどで見て、存在そのものは知っていたそうです。後日聞いた話ですが、大学側から「もし、相撲で成功できなかったら、またレスリングをやる環境をつくってあげるから」と言われていたとか。だからこそ、イチかバチかで未知の世界に飛び込むことができたのでしょう。
■SARSの影響で予定繰り上げ
内モンゴルでのスカウト活動はもう少し続けるつもりでしたが、当時、中国ではSARSが流行して間もなかった時期。内モンゴルでも感染者が何人か出ていました。
蒼国来を入門させることに決めた私は、彼に名刺を渡して「日本に着いたら、空港でこれを見せなさい」と伝え、予定を早めて帰国することに。結局、内モンゴルの滞在は4、5日ほど。後は荒汐部屋3人目の弟子が来日するのを待つだけとなりました。(つづく)