三浦洋一 壮絶ながん闘病死と男の美学
しかし、三浦は「10月に新宿コマ劇場で(長山洋子の)舞台公演の仕事が入っている」と、9月20日過ぎに一時退院、約1カ月間の舞台出演を強行した。がんは肺にも転移しており、すでにバナナジュースさえもうまく喉を通らない状態だったが、宿泊先のホテルで点滴を受けながら舞台に立ちつづけた。75キロあった体重は千秋楽には55キロまで激減していた。共演者に激ヤセぶりを気づかれないよう、舞台衣装の下に肉じゅばんを2枚も巻いていたという。
公演終了後の11月、三浦は再入院する。医師と所属事務所は記者会見を開き、食道がんが公表された。医師は会見で「転移している様子もないし、100%に近い確率で完治」と語ったが、これは本人に病状を知らせないための嘘だった。実際には年が越せるかどうかという状況で、翌年1月に予定されていた長山の中日劇場公演も降板が決まった。
闘病生活を支えたのは家族への愛だった。11月27日は主治医らを伴って箱根1泊の家族旅行に出かけ、大晦日にも一時帰宅、正月は自宅で一家だんらんを楽しんだ。しかし、「桜の花が咲くまでは持たない」という医師の言葉通り、4月には急速に容体が悪化、5月14日に息を引き取った。