あがり性で内気だった…萩本欽一“失敗続き”の下積み時代
1970年代にテレビバラエティー界の頂点に立ち、「視聴率100%男」と呼ばれた萩本欽一。テレビで一線を退いてからも、長野冬季五輪閉会式の司会、クラブ野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」結成、そして2015年には74歳にして駒沢大学に入学。型にはまらない自由な活動を続けている。
今ではすっかり大御所芸人となった萩本だが、子供の頃は内気で引っ込み思案な性格だった。自伝本「なんでそーなるの!萩本欽一自伝」(日本文芸社)によると、小学生時代には断られるのが怖くて友達を遊びに誘うこともできなかった。人前で歌を歌うのも恥ずかしく、音楽の時間にも小声で歌っていた。
下町の子供たちは、互いのベーゴマやメンコを奪い合って真剣に遊ぶ。そこで生き抜くために萩本はヨイショを覚えた。口八丁で場を仕切っているガキ大将のご機嫌を取り、味方につけたのだ。このとき身につけた話術が、のちの芸人仕事でも生かされているのだという。
高校を出て、浅草の東洋劇場で働くことになった。スタッフとして掃除などの雑用をこなすうちに舞台に立つチャンスを得た。ところが、いざ本番を迎えると、生来のあがり性のため、覚えたセリフが全然出てこない。その後も、セリフはちっとも覚えられず、踊りはいくら練習してもうまくならない。