赤塚不二夫編<7>入院先でもサンマ焼き、焼酎を飲んでいた
出会った頃にはすでに「アルコール依存症」だった赤塚不二夫氏(享年72)。元妻と離婚後、連日連夜の酒が要因といわれていた。
真知子さんと再婚したのは依存症を心配した“元ニョウ(女房)”と呼ぶ前夫人が、先生のアシスタントをしていた真知子さんを再婚相手として薦め、保証人にまでなってゴールインした。「元」と「今」の女房が大の仲良しという関係だった。こんな関係をつくったのも赤塚氏の魅力が成せるものだと思う。
「先生にお酒をやめさせるのは可哀想」と真知子夫人は完全に禁酒させなかった。飲み過ぎが続くとカラ嘔吐が頻発する。赤塚家ではこれを「ゲーゲー病」と呼んでいた。
その時は体内からアルコールを抜いて体内を清浄する「ウオッシュアウト」のために入院していた。特別個室で真知子夫人も看護生活をしていたが、この頃は看病にも余裕があった。
病院にお見舞いに行くと、「今夜、なに食べる」と自宅と同じ感覚で聞いてくる。病室内はIHヒーター付きのキッチンもあるので、料理が得意な夫人は簡単に調理。ちゃんこ鍋をすることもあった。看護師さんも「今日は鍋なの。おいしそう」と笑い、日替わりメニューを見て楽しんでいた。