目の前のテーブルで“出待ち”の中島みゆきさんが飲み物を
晩秋の空が一番美しいと言ったのは誰だったか? 1975年、秋が深まりを見せるころ、4店舗目となるロフトのオープンに向け、気ぜわしい日々を送っていた。時折、空を見上げて「何かいいことが起こりそうな気がする」とつぶやいた。その年の12月に開店した下北沢ロフトは、当時としては珍しい地下物件だった(30坪)。保証金400万円に家賃15万円。ロックな若者や業界人が参集して「ロフトが下北沢の人の流れを変えた」と言われたものだ。
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中島みゆきさんの東京進出初ライブは、シモキタ・ロフトだった。
彼女がデビューした翌1976年のこと。彼女のマネジャーから「出演したい」という連絡があったように記憶しているが、ブッキングしたのは誰だったのか……はっきりとは覚えていない。
あの時代は新興ロックの波が押し寄せようとしていた。ロフト関係者は「中島みゆき」が今、世間でどのくらい受け入れられているのか、正確に把握していなかった。
観客は10人とか20人とか、その程度だとタカをくくっていた。当日、シモキタ・ロフトの店長から電話が入った。