北島三郎は「ロックの時代が到来する」ことを予測していた
ロフトの関係者は、彼女を「ジュンペイ」と呼んでいた。1977年に「シンプル・ラブ」をヒットさせた大橋純子である。「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」のヒット曲でも知られる彼女は、75年にオープンした下北沢ロフトをライブ活動の拠点としていた。彼女は本当に歌がうまく、真のプロシンガーだった。バックバンドの「美乃家セントラル・ステイション」には、82年に「すみれ September Love」をヒットさせた一風堂のリーダー土屋昌巳がいた。70年代後半の某月某日。ジュンペイのマネジャーが話し掛けてきた。
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「平野さん、このほど大橋純子が北島音楽事務所に所属することになりました。これからもロフトさんにはお世話になるわけですし、ぜひ平野さんにご挨拶させていただきたく、事務所までご足労をいただけないでしょうか、と言っております」
えっ!? 思わず耳を疑ってしまった。
たかだかロフトの創業者ごときが、62年に「なみだ船」で日本レコード大賞・新人賞を受賞して「兄弟仁義」「函館の女」「博多の女」など矢継ぎ早にヒット曲を連発した北島三郎さんから招待を受けるなんて!