浜崎あゆみ第2子出産報告に「窮屈さ」を感じるのはなぜか
■年輪を感じさせない今の浜崎あゆみの生き方
ここ数年、浜崎あゆみと引き合いに出されるのが安室奈美恵だろう。どちらも若者のカリスマとして一世を風靡した歌姫だが、生き方は正反対だ。安室の生き方や発信するものにはきちんと「年輪」が存在していた。安室も最後まで10代の時のようにミニスカートをはいて、ヒールでガンガン踊っていたが、それが逆にかっこいいとさえ思えたのは、安室が完全に演者に徹していたからだろう。安室は決してプライベートを必要以上に出すことはなく、母としての安室も、アーティストとしての安室もきっちり分けていた。だからこそ、安室奈美恵という存在を一種の芸術として昇華させるための引退であり、引き際にすら美学を感じることができた。しかし浜崎の時間は若者のカリスマだった時から、止まっているような印象を受ける。
未婚のまま子供を次々と生むことも、インスタに何かを匂わせながらアップすることも、露出の多い衣装も、大人数のバックダンサーを引き連れて歌うことも、その「意義」や「必要性」を感じられないことが今の浜崎あゆみに対する違和感を作っているのではないだろうか? どんな個性的なアイテムも、浜崎が持つだけで魅力的に見えたのは、彼女が浜崎あゆみであることの意義を感じていたからこそだろう。
浜崎あゆみの“年輪”を感じられる日を、心待ちにしている。
(文=水野詩子/ライター・コラムニスト)