【特別寄稿】映画評論家・前田有一氏「映画はカルト宗教をどう描いたか」
安倍晋三元首相の銃撃事件をきっかけに、政権与党と旧統一教会の濃密な関係が次々と明らかになっている。とりわけ安倍元首相をはじめ自民党の大臣クラスの大物議員が関係イベントに祝電を打つなどして事実上のお墨付きを与え、結果的に霊感商法などの被害を放置、拡大してきた事実は、国民に大きな衝撃を与えた。
一方で「政治家は多くの団体と付き合うのが普通」「単なるそうした宗教団体のひとつ」などと、問題を矮小化する声も散見される。だが、欧州では伝統的な宗教から派生した団体は、カルトまたはセクトと呼んで明確に区別しており、彼らが権力に近づくことを警戒している。かつては日本でも旧統一教会による1980年代の霊感商法や合同結婚式、95年の地下鉄サリン事件の報道などでその危険性は周知されていたが、最近、とくに若い世代にはぴんとこない人も多いという。
■宗教2世の苦悩を描いた「星の子」
そこで、今の日本人にとってタイムリーな作品を中心にピックアップし、世界の映画界がカルトの危険性と問題点をどう描いてきたのか、改めて見直してみたい。
まず、今回の事件との類似性で注目を浴びているのが、現実社会と宗教世界の板挟みに苦しむ宗教2世を描いた「星の子」(2020年、日本)だ。
芦田愛菜演じる中学3年のちひろの両親は、怪しげな新興宗教にのめりこんでいる。幸い、理解ある親友にも恵まれ、ちひろは学校生活になじんでいたが、あるとき、奇妙な儀式を行う両親の姿を片思い中の教師に見られてしまう。それを機に、彼女は学校での立場を失い、やがて自我崩壊の危機に直面する。
この映画では、いわゆる宗教2世が「外での常識」と教義のはざまで孤立する姿が描かれている。例えば心ある親類が捨て身で説得しても両親の洗脳は解けず、むしろ社会との分断は深まるのみ。それを見て絶望したちひろの姉は、家族を捨て消息不明となってしまう。それでもちひろは両親を愛するがゆえ、父母からも教団の呪縛からも逃れられない……。
カルト教団は、こうした家族愛を逆手に取り、たとえ家庭が崩壊しても搾取を続ける。信者一家を外部と切り離し、イベントなど楽しい「居場所」を与えることで依存させる。