国葬のようなものから1年、この国の大切なことはムードで決まっていく
一見してそれと分かるような〈右〉または〈左〉を求めてこの映画を観ると、おそらく肩透かしを食うことになる。なぜなら大島監督は冷静さを失わないから。冷静は、はかなく、わかりにくいものだ。それと似たわかりやすいものを冷徹と呼ぶが、冷徹は情熱の亜種であり、冷静はむしろもっと遠くにある。有島武郎言うところの「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は愛しないことだ」の理屈に近い。著しく高い不感熱性を備えた大島新の作品は、ゆえに自ら熱を放つ。そういえば、彼が起こした映像制作会社の名前はネツゲンというのだった。
試写で観てわいてきた名前のつかない感情。その正体を確かめたくて、今週日曜(9月17日)、ポレポレ東中野の正午の回上映後に、監督と公開トークを行うことになった。ご興味あればぜひご来場ください。一緒に考えましょう。