佐野元春は「言葉と音楽の理想的な関係」を探求する先頭に立ち続けている
昨年、初めて国産車を買った。初めての新車でもある。五木寛之さんの影響で大学時代に中古のスウェーデン車サーブを格安で買って以来、もっぱら欧州の中古車ばかり乗り継いできた。車にとくべつ詳しいわけではない。見てくれ最優先を貫いた結果に過ぎない。スピードへの執着心は希薄だし、長距離運転が必須の仕事でもないから、燃費もさほど気にすることがなかった。
修理日数や費用がシャレにならぬ事態なら何度か経験しているが、それでも手元に戻ってきてお気に入りのフォルムを見るたびに、これでいいのだと愛着は増した。外見至上主義と訳されるルッキズムは最も忌むべき思想のひとつだが、対象がクルマなら誰に迷惑や不快感を与えるものでもなかろう。一度も就職したことのない、成り行きまかせのぼくの人生。それを最も象徴するのが車選びだった。
国産車に乗ることのメリットを重々承知のうえで、それでも遠ざけてきた理由ははっきりしている。新モデルが出て「カッコいいじゃないか」と思っても、事情通による「それ、〇〇(欧州車メーカー)のマネだから」という指摘がすぐに出てくる。必ず出てくる。それを聞いた途端に気持ちは萎えてしまうのだった。
「和製○○」に価値を見出して有難がる視点を、ぼくはずっと持ち合わせていなかった。そんなときの「和製」は「模造」に、もっと言うなら「劣化版」にさえ感じられた。
もっとも、ぼくの「和製ぎらい」は車を買うようになるずっと前から。それはまず音楽、服、そして小説や映画にも向けられた。なかでも顕著だったのは音楽。大瀧詠一、山下達郎、鈴木雅之、そして佐野元春。十代で出会ったこの4人のロックスターがぼくの蒙を啓き、「洋楽的妙味」を教えてくれたことは疑いようもない。
だがいったん洋楽に目覚めてしまえば、それを教えてくれた彼らとはあっという間に距離ができてしまった。「和製」より「元ネタ」を聴くほうが楽しいという、単純かつ残酷な理由で。つまり彼らに惹かれたのと同じ理由で、ぼくの心は離れていったのである。
自分の興味がブラックミュージックに集中していくにつれて、その傾向がつよい山下と鈴木をまたよく聴くようになり、のちに仕事を重ねるまでになった。大瀧とは20年ほど前にぼくがプロデュースするケミストリーが「恋するカレン」をカバーしたのがきっかけで対談し、人間的興味が湧いて熱心なファンに戻った。
じつは先の4人の中で、ぼくの文学的興味や社会的関心に最もストレートな影響を与えたのは佐野元春だった。例えばいまジャック・ケルアックを好み、サンフランシスコのシティライツ書店を訪ねたり、それが縁で松浦弥太郎さんと交流を深めるようになったりしたのも、元はといえば佐野がラジオで語るビート・ジェネレーション論を聴いたのがはじまり。
作品が出るたびに耳を通してきたし、自分が音楽プロデュースを始め、とくに詞を作るようになってからは、彼の才能の凄まじさを幾度も痛感してきた。だが音楽性の違いゆえに、生身の佐野元春は遠いままだった。