中村敦夫(2)「10回死ぬところが17回まで生き延びました。金欠病でしたから助かったよ」
1971年のNHK大河ドラマ「春の坂道」の脚本は山岡荘八で、大河では初の書き下ろしだった。つまり、視聴者の反応を見ながら書き進める手法。視聴者から「中村敦夫の石田三成を殺さないで欲しい」という延命懇願に局は抗しきれず、山岡に脚本の書き直しを頼み、三成の出番を「可能な限り」増やし…
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