河島英五 肝臓疾患から吐血、48歳の壮絶な最期
それでも、「歌えない俺は死んだも同じ」といい、入院中も曲作りに励んだ。事情を知らないライブの主催者から「風邪をひいたくらいでキャンセルなんて」とクレームが入ったこともあり、予定していたライブに穴をあけないように必死。
3月11日、医者の勧めを振り切るようにして半ば無理やり退院。それから間もなく長崎、山口など3カ所でコンサートを開いた。飛行機到着後は動けなくなり、車椅子も出してもらい、何を食べても戻してばかり。ところが、本番になるとしっかり歩き、最後まで歌い通した。
3月24日には長女のタレント、あみるの結婚式に出席。その後はあみる夫妻と同居し、自宅療養していた。
そして、重大局面が4月14日に訪れる。大阪でトーク&ライブショーを終えて帰宅。河島は深夜に吐血。それでも、「病院には行かさんといてくれ」と横になったが朝に再び吐血して救急車で病院に搬送された。
その日は奈良でコンサートが予定され、「歌わしてくれ」と主張して入院が遅れそうになる最悪の事態も。結局、数時間後に意識がなくなり、医者は「100%意識が戻らない」と宣告したほどだが、まもなく夫人の呼びかけに応えて意識は回復。呼吸器をつけて点滴と輸血のチューブがつながっているのに、「こんなことしとられん、ギター持ってきて」など家族としゃべり続けた。