【東京佐川急便事件】異聞(120)「金子知事立件」を他紙に抜かれ、逆転を狙ったのが発端
朝日新聞の司法記者クラブキャップだった松本正が、東京佐川事件で政界ルートの立件はないと判断したのは、尊敬する検事、吉永祐介の教えが基準になっていたからだった。それは当時の検察の起訴基準でもあった。後に検事総長まで上りつめる吉永が検事に任官したのは1955年。戦前の検察ファッショ…
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