広末涼子は世間と時代の破壊者たれ!キルケゴールを読みこなす彼女の一面から見えるもの
「広末涼子は菩薩である」
これは作家・五木寛之が幾千万の戦後のコピーの中でもベスト3に入る傑作だとした、評論家・平岡正明の「山口百恵は菩薩である」(講談社)の二番煎じである。
百恵と広末がどうつながるのかは後で触れるとして、一人の貧しい少女が歌手となり、ひたむきな歌の力で日本を浄化した。優雅な美しさに至った百恵は菩薩といわれるにふさわしいと、約半世紀前に平岡は熱く論じた。往時、“時代と寝た女”といわれた百恵の他に中森明菜、松田聖子、桜田淳子がいた。
明菜は近藤真彦との愛憎の果てに自殺未遂を起こし、芸能活動を一時休止。聖子はその近藤とのニューヨークの「あいびき」をはじめ、数々の浮名を流し、桜田は統一教会入信問題で芸能界から去っていった。
平岡は、フォークソングには反体制はあるが、反社会性はない。反社会性の核心は破壊であるとして、「ジャズ、艶歌、ロックンロールにはこの方向がある」と支持した。